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初夏六月(45)(46)(47)

 投稿者:秋 たける  投稿日:2017年 6月25日(日)10時36分16秒
返信・引用 編集済
  写真上 鎌倉円覚寺の山門前で咲くアジサイ。
写真中 アジサイは参道の傍らにも。
写真下 日陰の、石垣にひっそりと咲くユキノシタ。可憐な花なので
    近づきてフラッシュを使って撮ったで実物より白っぽくなってしまった。
                            6月17日、写す。
 
 

・・・≪名作≫の旅・・・

 投稿者:旅人ーM  投稿日:2017年 6月25日(日)05時48分56秒
返信・引用 編集済
  熊本太郎 さま・・・

夏目漱石の『草枕』の中に書かれている、”峠の茶屋”のご紹介・・・有難うございます。

自分では、『天下の風来坊』だと思って、特に定年を過ぎてからも、全国あちらこちらに、足をのばし、歩き廻ったりしました。

思わぬところで、名作の一場面やモニュメントなどを見かけたりすると、心躍らせられます。
≪・・・ここで、あの名作が生まれたのか・・・≫
ふと、立ち止まって、作者の気持ちを考えたり、登場人物に成り切ってみたり・・・いい気分になれます。

面白いことに、そうした名所は、ほぼ全国で、あちこち目にすることに気づかされたものです。
ご紹介、有難うございます。
 

水無月を撮る-6

 投稿者:うのたん  投稿日:2017年 6月24日(土)22時54分23秒
返信・引用
  秋さんは鎌倉の寺院のや美しいあじさいの写真、そして初夏六月の(41)の石仏は何とも優しい表情をしておりつい拝みたくなります。
さて、本日、第96回朱葉会展に東京都都立美術館に行きました。沢山の人出でした。
高校同窓生のKさん(同級生 女性)の作品『窓辺』を投稿しますのでご覧いただければ幸いです。(写真上)
また上野は大勢の人々でした。(写真下)
 

合評御礼

 投稿者:熊本太郎  投稿日:2017年 6月24日(土)18時44分37秒
返信・引用
  浪速人さん・吟遊詩人さん・うのたんさん・そしてO-chanさんいろいろお褒めの言葉や疑問の点
ご指摘などありがとうございます。 皆さまのご指摘にこれからも挑戦して書き続けたいと思っています。 九州もようやく本格的な梅雨入りです。 ひどい雨は災害に繋がります。前線が早く北上することを祈るのみです。
旅人ひとりさんの「草枕」のことですが、漱石の文章はどうも難しく私の頭ではついて行けません。でも峠の茶屋は熊本の我が家から近いこともあり、久しぶりに雨の中訪ねてみました。少ない来訪者でも受付には東京はじめ各地から来れれた方の記名がありました。これからも漱石が逗留した宿などをお知らせしましょう。
 

熊本さんの合評

 投稿者:o-chan  投稿日:2017年 6月24日(土)13時37分47秒
返信・引用 編集済
   熊本さんの作品は最初から描写が「華麗」だと思っていましたが、この作品でもその長所が遺憾なく発揮されていますね。これまで合評なさった方々もそれは漏れなく指摘されていますが、特に「空」「海」「谷」「道」などの描写で始め、終わるという書き方は作者ご自身も連載であろうとなかろうと、心がけていらっしゃるのでしょうか。それとも気持ちの赴くままでしょうか。

人間の描写はこれまた些細な役割の登場人物であろうと、それぞれの特徴が目に見えるほど生き生きとしていて、まるで映画でも見るように、与えられた限られた情報を想像で膨らませて楽しむ事ができます。

私は昔から本をそんな風に読んでいたので、例えば全く見た事がない外国の話や時代劇ものなどの映画化されたものを見て、あまりにも想像と違っていて、がっかり。だから名作の映画化は見たくありませんでした。それは私の無知と非常識のせいでしたが、皆様にはそんな経験はありませんか。

自然や人物、それらの動きを書くとき、多分作者がそこに、その人に自らを置き、疑似体験をなさっていらっしゃるのではないでしょうか。そして特に登場人物について、役割の大きさに関わらず、悪人の心理描写が少ないという所は、ご自身の感情移入がそういう残酷で非道な言動には無理があるからかもしれないと、勝手に思ったりしました。一つの挑戦として、そういう悪人の心境を推し量ってみてみませんか。特に当時は説明にあるように、生きて行くための悪道が数多くあったでしょうから、話の筋道としても不自然にならないでしょう。

タイトルとの関連はきっとこれから出てくると思うし、天皇の巡行がこういう強盗事件にどう関わってくるかも、楽しんで待っています。

舞台が現代ではない、だから逸話は時代検証はあっても、ある程度空想の産物、だから、どんな悲惨な話でも、読みながら本気で落ち込むことは少なく、とにかく圧倒的に楽しめる作品ですね。
 

秋さんの写真とコメントをブログに

 投稿者:o-chan  投稿日:2017年 6月24日(土)13時03分39秒
返信・引用
  今日から30日まで秋さんの合評です。毎日お散歩をなさり、素敵は花々、緑豊かな自然を写真にとってこの掲示板を飾って下さっていますが、そういう外へ向く目と、3字熟語を始め非常に内省的な事柄への研究結果を私たちに披露して下さっています。勉強が楽しいという素晴らしい特技の持ち主でいらっしゃいますね。  

初夏六月(42)(43)(44)

 投稿者:秋 たける  投稿日:2017年 6月24日(土)12時17分11秒
返信・引用
   今日もさる6月17日に、鎌倉の円覚寺で出会った花の写真です。同じアジサイでもお寺の
塀や屋根越しに写すと、どこか違って見えます。
 

『維新の声 続編』を読んで

 投稿者:うのたん  投稿日:2017年 6月23日(金)23時13分12秒
返信・引用
  熊本太郎さん
いつも熊本さんの作品は情景描写が実に素晴らしいことで感服しています。
『・・・東の空には明けの明星が大きく輝いていた。渡りの鳥であろうかそれとも朝早く巣を離れた烏であろうか、権現山の深い森から鳥の集団が、塒を離れてそれぞれが餌場を求めて降りて来る頃であった・・・この部分だけでも熊本城下の朝の様子が思い浮かびます。
明治維新、この頃の事は書物や映画、テレビ等でしか学んだ事はありませんが当時は急激な時代変化で混乱していた事と思います。そうした混乱の時代をいろいろ調べて書いているため当時の熊本城下で起きたことが良くわかります。米屋『祇園屋』で起きた複数人による窃盗事件、まだ番所の存在、東京府で巡査の教育を受けた巡査が熊本に配属された巡査。盗難事件を解決するにも大変な苦労もあったものと思います。足で3里とか或は山越えをしての捜査も時代を感じさせます。
当時の士族は商人になったり百姓(農民)になったりこれも時代の変化と混乱の次期でもあったと思います。これからの時代変化と人々の生活の変化も興味を持って拝読したいと思います。
 

維新の声(続編)

 投稿者:吟遊視人  投稿日:2017年 6月23日(金)23時06分42秒
返信・引用 編集済
  維新後の不安定な世情や不穏な動きをとらえた物語のようです。
最初の出だしがいいですね。鳥の集団が餌場を求めて降りてくる情景描写は、どこかしらただならぬ事件か発生することを予感させます。そして米屋「祇園屋」に強盗集団がはいったことがわかります。
そのあとの描写もまたいいです。せっぱつまった夫婦の表情が目に浮かぶようです。番所の巡査や男たち、祇園屋の主人やその女房のお絹のせりふや動きも、当時の時代や背景に照らした表現で、無理なくこのストーリーに入ることができます。

9ページの下6行目からは、当時の世情や下級武士、藩閥政治の説明も導入されていて、この時代の様子がわかります。作者の熊本さんはいつも時代考証のため色々な資料をチェックされていると聞いていますが、維新直後の人々の動静や歴史的な流れや背景を検証されるだけでなく、このような庶民の生活などにも目を配られているようですね。

さて物語は祇園屋に押し入った強盗団を捕まえるため巡査や下っ引き10名の一行が奥深い谷が山奥まで入っている島崎村に入っていきます。この僻地の村の様子も、熊本の山深き里を歩いた経験のある作者ならこその表現です。
「嶽」という集落では、捜索隊へ庄屋の牛島賢三が怪しまれた松の次男坊のことを弁護します。そして近くの浜やその一帯にはあちこちの男たちが交易に立ち寄っている噂を伝えます。3里ほど下った近津の浜へ巡査一行は探索のため歩を向けます。

松の息子や近津の浜で交易をする男たち、今回の登場人物が果たして祇園屋強盗と何らかの関連があるのか、次号の展開が待たれます。

最後に疑問を言えば、今回のタイトルには「維新の声」とありながら、特に注目する登場人物の中で誰が主体的な人物なのか、よくわかりません。「維新の声」として、どのような声をあげたかったのか、推察ができないことです。もっとも祇園屋強盗などが発生した不穏な世情を描写することで、維新直後の庶民や下級武士だった男たちのうちにこもった苛立ちや憤懣を表現することだったかもしれません。あるいはまだ始まったばかりだから、今回は全体のストーリーの単なるプロローグだったかもしれません。
 

初夏六月(39)(40)(41)

 投稿者:秋 たける  投稿日:2017年 6月23日(金)10時42分55秒
返信・引用 編集済
   臨済宗・円覚寺派大本山 円覚寺
 円覚寺は弘安5年(1282)に創建されました。開基は元弘の役に活躍した鎌倉幕府の執北条時宗、
開山は宋から来朝した高層の無学祖元(仏光国師)です。円覚寺の主な目的な、蒙古襲来で戦没した
多くの霊を「敵味方なく弔うことでした。案内書から。

 境内でみかけた仏像達。6月17日、撮影。
 写真上 石仏。十一面観音だろうか。
 写真中 地蔵さんとアジサイと伽藍の屋根を1つの画面に収めることができました。
 写真下 墓地の崖に彫られた摩崖仏に並んで立つ釈迦?立像。
 

初夏六月(37)(37)(38)

 投稿者:秋 たける  投稿日:2017年 6月22日(木)12時05分18秒
返信・引用 編集済
  昨日は台風が来たかと思わせるような暴風雨が1日、吹き荒れました。亀が首を引っ込めるように
して家のなかで過ごしました。我が家のアジサイは生き返ったようです。

17日、円覚寺の雄大な山門の左側を通り、松嶺院の前まで来ますと「山アジサイがご覧になれます」
「遍路みち」という2枚の看板が目に留まりました。山アジサイとふだん見ている園芸種のアジサイと
どこが違うだろうか。遍路みちでは石仏にも出会いましたが、まず「山アジサイ」をご覧ください。

 
 

漱石・≪草枕≫・考・・・難解です・・・

 投稿者:旅人ーM  投稿日:2017年 6月21日(水)11時50分33秒
返信・引用 編集済
  時どき、自分の性格や行動について、≪嫌気(いやけ)≫が差すことがあります。
言の輪・51号、『老いの立志式』というタイトルの投稿文のなかで、『夏目漱石集を読んで、明治文学を理解したい・・・云々』、と書いたことに苦しんでいます。

≪草枕≫です。
冒頭、有名な、”序文”があります。

≪山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。『智』に働けば『角』が立つ。『情』に『棹(さお)』させば流される。意地を通せば窮屈(きゅうくつ)だ。とにかくこの世は住みにくい≫。
『住みにくさが高(こう)じると、安い所へ引っ越したくなる。どこへ越しても、住みにくいと悟(さと)った時、詩が生まれて、画が出来る』・・・とあります。

主人公(余)は、スケッチ・ブックを片手に、詩心、歌心、画心でもさがしにと思って、そぞろ、旅に出かけたのでしょうか・・・。

『雲行きがあやしくなってきた。路は存外広く、かつ平らである。雨具がなく、急ぎ足となったところで、ふと馬子とであった。
≪ここらに休むところはないかね・・・≫
≪もう十五丁行くと茶屋がありますよ・・・≫

『濡れた服を乾かしながら茶屋でひと休み、茶屋の老婆のよもやま話の後、宿を聞きます・・・。
≪二十八丁ほど先の、那古井というところに、”志保田”さんがありますよ・・・≫
茶屋の老婆が、
≪那古井の宿の女将さんと、昔話の”長良の乙女”が似ている≫
などといった、話をします。

夜8時頃に、宿に着きます。部屋から感じる光景が綴られています。
『孤村の温泉、春宵の花影、月前の低誦(ていしょう)、朧夜の姿・・・芸術家の好題目が眼前に現れたところで、床についたものの・・・長良の乙女が目に浮かんだり、長良の乙女の歌が聞こえたり・・・寝苦しい、不思議なウトウトした気分になります。
旅先の草枕の中での会話や光景の中で、詩心、歌心、画心を思い立ちそうな気分になったのか、那古井でしばしの逗留を思い立ったようです。

『何も見ない日、何の色彩もない日、何の同化もない日・・・何に対しても動かず、只、恍惚として動いている日々・・・
第一の画としては、感じなくても物さえあれば画ける・・・
第二の画は、物と感じが両立したとき、画けばいい・・・
第三の画は、心持ちがあったとき・・・
画にするには、この心持ちになる恰好な対象を選ばなければならない。
そんな思いが浮かんだりしたのでしょうか。
漢詩、漢文調の所感、解説文が続いていて、難解です。

終章になって、
宿の女将・那美が、日露戦争に出征する従弟(いとこ)・久一が汽車で出発するのを、主人公も一緒に見送ります。
 (久一)『・・・それではご機嫌よう・・・』
 (那美)『・・・死んでおいで・・・』
茫然とした那美の姿に、”憐れ”を感じたところで、主人公は、初めて≪画こう≫という気持ちが沸いてきます・・・文面は結ばれています。
・・・序文に通じるところがあるのでしょうか・・・筆者の主張を理解するのが、難解です。

(追伸)
『那古井』という温泉は、熊本県北部の『玉名温泉』の奥まったところにあるようです。
全く知らず、日本列島徒歩縦断旅の折、玉名温泉に泊まったことを思い出しました。
荒尾から、大牟田に向かった道から『右手』に入ったところでした。
 

初夏六月(34)(35)(36)

 投稿者:秋 たける  投稿日:2017年 6月21日(水)11時09分51秒
返信・引用 編集済
   毎年、この時期になると新聞、テレビがあちこちのアジサイの花だよりを取り上げます。これまで
行ったことのない、新しい場所に行きたいという願いと裏腹に悲しいかな、年々行動範囲が狭まって
います。17日の朝、大船駅から1駅、満員の横須賀線に乗り北鎌倉で降りました。去年とまったく
同じコースです。「北鎌」で下りたお客の大半は南の明月院に向かったのでしょう。線路わきの道は
大混雑でした。私はその人混みを避け、円覚寺の石段を登りました。

 写真上 総門に向かう人。写真中 早々と参拝を終えて石段を下る人。写真下 山門。

de

 

[維新の声」続編に

 投稿者:浪速びと  投稿日:2017年 6月21日(水)09時26分27秒
返信・引用
  まるで鬼平犯科帳を見るような話です。図書館でいろいろ調べられているとのことなので多分実際にあったのでしょうが、米屋「祇園屋」の話す押し込みの様子は生き生き描かれ、臨場感があります。どきどきして読みます。
維新直後の世情安定しない中でこういう事件はあちこちであったのでしょう。そういう時代背景を基盤に地方での事件をいつもながらの風景や情景の細やかな描写が生きていて、読む者の想像をかき立てます。
「腰と足には荒縄で縛られたのか手足をふらつかせながら、その縄が垂れ下がっていた」とか「流れ出る汗を首に巻いた手拭いで拭いながら進んでいた」とか。
強盗の一団を追っての山狩りとか、部落での隣近所の消息不明の息子らに対する疑心など、人物の状況の描写もうまく描けていると思います。書いているときには楽しく書かれたのだろうとついつい想像してしまいます。

奉行所に変わり、巡査は江戸時代の同心で、下っぴきは十手持ちの岡っ引きかな。巡査はどうも同心以下の働きぶりで、鬼平の同心や密偵とは働きがずいぶんと劣ります。あんな時代ではそんなもんかな。この時代には、捜査する警察と裁判や刑の執行はきちんとその職務を果たせていたのだろうか。なんとなくまだ、警察が事件に乗り出すようになっても、うまく機能できなかったようですね。

一カ所戸締まりが出来ていなかったので引き込みがいたのか、この犯人たちを検挙できるのか、検挙されたときにこの事件のあらましが明らかにされるのか、この先の展開が、興味津々です。

山田さんは、だんだん郷土の史家に着実になって行っているように思います。

 

水無月を撮る-5

 投稿者:うのたん  投稿日:2017年 6月20日(火)20時44分4秒
返信・引用
  秋さんの名所や花菖蒲など美しい風景、花々を楽しませていただいています。
我が家は17日(土)注文していた和歌山県の南高梅30㎏(知人からの注文分10k含む)親子で水洗い作業、水切り、塩漬けなどでてんてこ舞いでした。我が家は梅1kに塩130gの割合で塩漬けします。一昼夜明け18日夜には梅汁が一杯上がりました。さすがは良質の南高梅でした。一週間ぐらいして塩もみした紫蘇を乗せ、7月末の土用干しをすると真っ赤な梅干しになります。
家庭じみた写真で申し訳ありません、何分にも6月にしか見られない光景で撮りました。
 

初夏六月(31)(32)(33)

 投稿者:秋 たける  投稿日:2017年 6月20日(火)12時34分44秒
返信・引用 編集済
   今日で6月15日に歩いた「堀切菖蒲園の「花」見」は終わりにします。

 写真上 堀切菖蒲園に咲くアジサイ。この写真のなかに、この菖蒲の名前「綾瀬川」が
     映っています。ここでつくられた品種なんでしょうか。それにしてもここに
     植えられているという約200種すべてに品種名がつけられていて、美しい日本語が
     あふれていました。もし時間があってそれらを全部書きとめ読み返せば、その美しい
     日本語の世界に身を置くことができたことでしょう。
 写真中・下 帰りも往路と同じアジサイの道を通り、堀切菖蒲園駅に向かいました。
 

初夏六月(28)(29)(30)

 投稿者:秋 たける  投稿日:2017年 6月19日(月)18時14分11秒
返信・引用 編集済
  今日も6月15日に、堀切菖蒲園で撮った花を見ていただきたいと思います。
 写真上 アジサイを見つけました。
 写真中 田んぼの一画に大きな灯篭が据えられていました。歴史を感じます。
 写真下 水路に咲くスイレン。
 
 

旅人ーMさんへ

 投稿者:うのたん  投稿日:2017年 6月19日(月)08時50分32秒
返信・引用
  先だっては合評、有難うございました。
昨日、旅人ーMさんを始め合評お礼を申し述べましたが今朝見ると旅人ーMさんのお名前が『旅人?Mさん』となっています。原稿では『旅人ーMさん』となっているのですが何故『旅人?Mさん』になったのか分かりません。お詫びします。
以前、私の投稿文中の『疑問』と言う文字が『?』に変換されていた事がありました。何故変換されたのかわかりません。
 

合評お礼

 投稿者:うのたん  投稿日:2017年 6月18日(日)16時00分10秒
返信・引用
  浪速びとさん 吟遊視人さん 旅人-Mさん ひまじんさん O-chanさん 新風児さん 謙治さん 秋たけるさん

恥も外聞もなく体験した「高校2年の夏休みに住み込みアルバイト」を書きましたが皆さんにお読みいただき、また、多くの方に合評、感想をいただき有難うございました。ジーンとしながら拝読しました。
当時の新聞求人広告には良く『住み込み、通勤も可』という文字が目についていました。また、住み込みで働く女性は『求む 女中』(今はこの表現は出来ませんが)という文字も見ました。
住み込みと言えば厳しい大阪の丁稚奉公やこの原稿を書きながら思い出していたのは山本有三の『路傍の石』の一シーでした。映画は戦前作の古い白黒映画で愛川伍一少年(片山明彦)がランプを磨いているとき『伍助! 伍助!(伍一少年)・・・』と散々漕ぎ使われ、たまりかねた伍一(伍助)は磨いていたランプをたたき割って出て行くシーンがあり映画でありながら観客席から拍手が沸いた・・・。私の場合はまだまだファミリー的な扱いで辞めたいとか、飛び出そう等の気は起こりませんでした。『久木野』の主人は京都や大阪で奉公をして一人前の大旦那になったと思います。いろいろ厳しいことも言われました。荷物の縄は切らずにほどく、その縄をまた使うなどなど節約や物を大事にする事も学びました。
まだまだこの程度では苦労したとは言えませんが少々の事は我慢出来るようになりました、また、不具な私の体の事は誰ひとりとして『・・・どうしたのか?』など聞かれる事はありませんでした。北九州弁で言うと『皆、良か人ばっかりじゃった』有難うございました。

浪速びとさん
早々に感想有難うございました。最近、大阪商人の丁稚奉公や大番頭、小番頭などの制度はあるのでしょうか? 商売の基本は大阪に有りと思っています。大阪で鍛えられた人はデパートの店員さんや商店の店員さんは皆、しっかりしているように思います。お母さんお大事に。有難うございました。

吟遊視人さん
北九州にも在住のご経験が有り小倉の京町銀天街の事など思い浮かべていただき嬉しい限りです。2年ほど前に小倉に行った時は小倉の魚町銀天街も老舗らしい店もほとんどなく京町銀天街の端『カクシン』(昔は下駄や番傘専門店)が未だ唯一残り営業していました。『久木野』に住み込みしている頃。毎朝、前の『カクシン』の女性店員さんと笑顔で挨拶していました。何でも大分や宮崎から住み込みで働いていると言っていました。
今、北島さんに覚えがあるとすれば食糧品の店『まるわ』や『旦過市場』でしょうか?今も繁盛しているようです。有難うございました。

旅人?Mさん
理路整然とまとめていただき有難うございます。さすがは徒歩で全国走破出来たのも何万、何千の県市町村と沢山の人々に会えたのもすべて頭の中で整理、まとめが出来て計画、実行出来たものとお察しします。
小学生の頃、長兄の靴を磨いてやり10円か20円貰った事はありますが仕事で給金をもらったのはこの住み込みのときが初めてでした。働いて、なにがしかのお金をもらうとは大変な事と身にしみて分かりました。有難うございました。

ひまじんさん
ご指摘のように住み込み店員が先に食事をしていました。お相撲さんの世界では横綱、大関等上位力士が先にちゃんこ鍋など食べ、残りを下っ端力士(ちょっと序の口などの相撲さんには失礼ですが)が食べると聞いています。福岡在住の頃、飲み屋さんでお相撲さんと話した事がありますが十両以下の相撲さんは厳しいようでした。また、デパートの華やかな売り場と裏腹に出入り業者には相当厳しいものがあります。今はDATA処理等で改善されていると思います。 有難うございました。

o-chanさん
昨日今日と梅の仕込みで家内と息子の3人で作業していましたので皆さんへのお礼が遅れました。申し訳ありません。
当時は時間と給金などあまり考えても見なかったです。『僕を雇ってくれた』と言う
気持ちでいっぱいでした。配達途中では自宅へは立ち寄れませんでした。配達は商店街近辺と他の地域で当時の我が家は富野と言うところで自転車だと40分以上はかかり帰る事は出来ませんでした。
住み込みとは仕事は重労働では無いにしても絶えず店の人の目が光っているような気がしていました。お金のありがたみは分かっていたつもりですが社会人で子供が大学を出たりするとついつい『ネ・オ・ン街でパッと使ってしまったり・・・』でした。
有難うございました。

新風児さん
ご指摘のようにタイトル長過ぎましたね、せめて『住み込みアルバイト』だけで良かったと思います。ご指摘有難うございます。
こうした良い経験が出来たのも店の主人やその家族も温かみのある人たちだったからと思います。また、いろいろお得意さんに配達しましたが反社会的?な家に配達した際、こわごわ入って行くと『兄ちゃん、お茶はいくらだ』と聞かれ『○○円ですと』と応えると『はい○○円、ご苦労さん!』と気持ちよく払ってくれました。当たり前と言えば当たり前ですが思ったより優しい面も感じました。
また、小倉での住み込み店員はほぼ九州出身者だと思いますが外国滞在の長かった新風児さんの住んでいたベルギー等はいろいろな国の方もいたのではと推察します。有難うございました。

謙治さん
1957年(昭和32年)は謙治さんはまだお生まれになっていなかったのですね~。若いという事は素晴らしいです。 企業がだんだん厳しくなって来たのは高度成長期の後半頃からではないかと思います。確か1970年台頃から『利益の追求、生産性向上などなど』厳しくなって来たような気がします。しかし、それでもまだファミリー的な職場の雰囲気は
あったような気がします。良く元同僚達と話が出ますが『我々の働いた1965年(昭和40年)~1985年(昭和60年頃)の時代が一番恵まれていたのではないか』と今でも思っています。その点、現在はIT,AIなどなど企業のあり方すら変わって来ているようで大変だと思います。頑張ってください。有難うございました。

秋たけるさん
ずっと以前に小倉に行かれて木の橋『常磐橋』の写真を投稿された事がありましたがその橋のすぐ近くの商店街に『久木野』はありました。
秋さんはもう社会に出られていたのですか、戦後の混乱から人々や街もだんだん落ち着いて来た頃でした。近くの勝山橋には白衣の傷痍軍人が街灯募金もしていました。元復員兵も職場で働くようになりましたが秋さんの書かれているように『元軍隊にいた・・・』などなどいたようですがやがて定年(当時は未だ55歳だったと思います)退職する等で高度成長期にはいなくなっていました。高校時代も教員が生徒のビンタをとるなどまだまだ、教育関係にも波がありました。
いつも秋さんの素晴らしい花の写真など楽しませて貰っています。有難うございました。


 

合評の順番の変更

 投稿者:浪速びと  投稿日:2017年 6月18日(日)10時29分11秒
返信・引用
  24日からはイマジンさんなのですが、都合により最後になります。
そのため順繰りに上げます。
念のため次のようになります。
【6/24~秋】【7/1~田村】【7/8~北島】【7/15~櫻井】【7/22~イマジン】
 

「高校2年の夏休みに住み込みアルバイト」を読んで…」を読んで

 投稿者:秋 たける  投稿日:2017年 6月17日(土)17時56分32秒
返信・引用 編集済
   このアルバイトは、本文の中に1957年7月の体験とありますので、私は、容易にその時代に立ち入る
ことができました。私もその年の4月、社会に出て、見知らぬ土地で他人の飯を食い始めたばかりでした。
当時、私が禄を食み始めた会社は半官半民の国策会社と言われ、海外から引き揚げて来た元軍人を、当時
の国鉄とともにもっとも多く受け入れていましたので、職場には軍隊帰りがずいぶん働いていました。
「なに、学卒だって? 軍隊にも行かず、ぬくぬくと学校へ行って遊んでいたんだろう」よく、そんな
嫌味をいわれたものです。

 戦時中、小国民は銃後の守りでした。わが家は農家だったので、家業を手伝うのは当たり前、よく働き
ました。でもそれは親元でのこと、健二少年の、24時間他人様の家で働き過ごすのは大変だったことで
しょう。「若い時の苦労は買ってでもしろ」と元軍人さんから言われ、力仕事に駆りだされたたことも
あります。確かに若い時に苦労する、自分で稼ぐのはどんなに大変なことか、それがわかると、自ずと
人の苦労も痛みも分かります。自分で体を使って苦労をしたことのない人は、権威や家柄を前に出し、
金の力で人を使おうとします。「どうせ、金だろう」と言った政治家がいましたね。
現場をしらないまま頭のなかだけで考えた仕事のやり方、方針をきめるトップほど「怖い」ものはあり
ません。

 人生には無駄はない、回り道も無駄ではないともいわれます。若い時に苦労したひとは将来、多くの
部下を持ち、あるいは会社全体の労務をまかされても、血の通った人情味あふれる上司になり、皆さん
から慕われることでしょう。苦労を苦労ともいわず、「自分自身の信用がもっとも重要だと痛感した」
健二は立派です。

 余分なことですが、日本の昔話は「昔むかし、あるところに、おじいちゃんとおばあちゃんが住んで
いました。おじいちゃんは山へ柴刈りにおばあちゃんは川へ洗濯に行きました」というように、物語の、
①時代、②場所(舞台)、③主人公の順に描かれていると、聞き手は安心し、容易に、その物語の中に
入っていける、という説を聞いたことがあります。物語の展開の定番なんですね。この物語もそのセオ
リー通りに展開しており、私もたちどころに健二少年になりきることができました。
 ますますのご健筆を祈ります。
 

「高校2年の夏休みに住み込みアルバイト」 合評

 投稿者:謙治  投稿日:2017年 6月17日(土)16時59分1秒
返信・引用
  中尾です。鵜木さんの「高校2年の夏休みに住み込みアルバイト」を拝読しました。
1957年という私が生まれる前の時代の、「住み込み」「仕事」の話ということで、「おしん」的な厳しい世界かと想像し読み始めました。ところが、この物語は、のんびりとした、良き時代の青春を感じさせられるものに仕上がっていました。とても爽やかな読後感でした。
一方、この物語を読んで、私が考えたのは、この幸せな職業体験とは少し異なる感のある、現在の若者の職業環境、仕事観のことでした。
今の若者は、職場に家族の様な温かさを感じることがあるだろうか。若者の周囲の先輩や取引先の人達は、鵜木さんの経験と同じ様に「ご苦労さん!」と声をかけてくれるだろうか。
鵜木さんは、朝から晩まで忙しく働き、休みもほとんどなかったが、何か働くことに満足感を得られた様です。一方で今の若者達は、同じことを職場で感じるのだろうか。時代の違いと片づけて良いのだろうか。
本作は、若者にとっての仕事のあり方を考えさせられる、良き物語と感じました。
 

初夏六月(25)(26)(27)

 投稿者:秋 たける  投稿日:2017年 6月17日(土)16時12分19秒
返信・引用 編集済
  堀切菖蒲園の入り口でピックアップしたパンフレットに、次のような解説が掲載されていました。
「堀切の花菖園は江戸名所の一つとして古くから知られており、その景観は安藤広重や歌川豊国らの
錦絵の題材にもなりました。
 花菖蒲がこの地に伝来した時期は明らかではありませんが、一節には文化年間(1804~1817)に
当時の農民、伊左衛門によって栽培されたのが始まりと言われており、現在本園の花菖蒲の種類は
約200種6,000株に及びます。江戸時代の情調をしのびながら、数多くの江戸花菖蒲を観賞できる
のが、本園の特徴の一つです」                2017年6月15日に写しました。
 

新風児様へ

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2017年 6月17日(土)11時00分40秒
返信・引用
  パソコンの事など御心配戴きありがとうございます。又以前拙文の「胃潰瘍」を読んで戴き合評もらいなした。お礼が言えませんでした。ありがとうございます。本調子では無いですが投稿できる時があります。これからもよろしく御願いします。  

熊本さんの写真とコメントをブログに

 投稿者:o-chan  投稿日:2017年 6月17日(土)08時24分25秒
返信・引用
  ブログに素敵な牛追い祭りの踊りの写真が入りました。ブログに書いてあるように、熊本乙女たちの若さがはじけています。

無農薬の野菜達の面倒をみながらの、この作品の執筆は、時代背景や人物についての調査も含め、本当にご苦労があったと思いますが、何より書いていらっしゃる筆者の楽しさが伝わってきます。読者の私たちも合評作業を楽しみましょう。

 

「高校2年の夏休みに住み込みアルバイト」鵜木さんの作品

 投稿者:新風児  投稿日:2017年 6月16日(金)22時00分24秒
返信・引用
  今回の鵜木さんの作品も、とても面白く読ませていただきました。

昭和32年の当時は、終戦後の混乱の中から生き延び、親を失った人、病床の親を抱えた子供達も、貧しい中にも何とか、がむしゃらに生き抜いてきた時代だったと思います。

高校生で住み込みのアルバイトをした人は聞いたことはありません。鵜木さんの話を聞いて驚きました。若かった鵜木さんの母親を思って自発的にアルバイトをして家計を助けたいとの思いからだったようですが、とても心温まるエッセイだと思います。親のすねばかりかじって、勉強もろくにしない最近の高校生には爪の垢を煎じて飲ませたいぐらいです。

そう言いながらも、子供には苦労させたくない。楽な暮らしをさせたいと思うのが親の常です。経済的に子供に楽をさせると、たくましい精神を削いでいるのかもしれません。そのような例をたくさん見てきましたので、子供に対してはできるだけ質素に暮らし、自力で独立心を育てることが肝心なように思われます。口で言うのはやさしい事ですが、子供可愛さのあまり、ついつい甘やかしてしまいそうです。

鵜木さんの、この経験は、その後の人生に、良い意味で、大きく影響されたのではないかと思います。「よそのうちの飯を食う」「自分で稼ぐ」「同僚と生活を共にする」「早寝早起き」「社会人としてのマナー」など、ここに書かれた色々なことはとても大事なことだと思います。

若いうちに「3万円の重みを知る」「体験する大切さ」など、とても有意義な夏休みを過ごされたことと思います。

一つだけコメントしておきますと、文章のタイトルはできるだけ短く、端的な言葉で印象付けるようにしてはいかがでしょうか?

いずれにせよ、とても読みやすく、健二の置かれた状況が手に取るように理解でき、読み終えた後の印象も、とても良かったことを付け加えておきます。

 

鵜木さんの合評

 投稿者:o-chan  投稿日:2017年 6月16日(金)21時34分58秒
返信・引用
  「他人の飯を食う」というのは想像しただけでも、本当に大変なことにおもえます。居候の場合でさえ、「3杯目にはそっと出し」(ご飯を3杯も食べるなんて、相当大食いですよね)なのに、住み込みで働くとなると、遠慮も何も、ここに書いてあるように、早く食べ終わらなければと気が気じゃないでしょうね。
1日が長いようで短い、とあるけれど、6時起きで11時就寝だと、8時間労働どころではないし、間に休憩とかはあったのでしょうか。どうやら外での仕事が多かったみたいですね。もちろん仕事はしんどかったでしょうが、人間関係はとてもよかったみたいで、何よりです。どんなに嫌な思いをしても、家に帰れば自分の世界に戻れるけれど、住み込みだとそうは行かないでしょう。健二青年の働きぶりや気の使い様が、きっとご主人たち、同僚、配達先の人たちにとって気持ちのよい物だったと思います。

一ヶ月のアルバイトを無事に終えて家に帰り、お母さんにお金の一部を渡したら、お母さんが涙を流されたそうで、健二君の心遣いがきっと本当に嬉しかったんでしょうね。留守をしていた一ヶ月間、きっと心配なさっていたと思いますよ。時には配達の行き帰りに家に寄ったり出来たのかな。

兄嫁は看護婦だけれど、住み込みで働いていた事もあり、女だとやっぱり家事万端まで手伝う事になると言っていました。住み込みといえば美容師さんもそういう人がいましたね。

私は住み込みではないけれど、一ヶ月寮に入りホテルのウエイトレスをした経験があります。これは食事時だけ働くので、他の時間は自由に使えて楽しかったですね。

夏休みを返上しての一日長時間の労働なのに、愚痴一つなく、主人公の健二君のひととなりが滲み出てくる文章で、こころもほんわかしてしまいました。


 

初夏六月(19)(20)(21)

 投稿者:秋 たける  投稿日:2017年 6月16日(金)14時40分35秒
返信・引用 編集済
  6月14日付け朝日新聞の第1面に「しずくと共演」題して、雨傘をさして堀切菖蒲園のハナ
ショウブを眺める人の写真が載りました。翌15日、その名もずばり京成電鉄の、堀切菖蒲園
駅に降りて、この家々の庭先、軒下に咲くアジサイの径を通り、堀切菖蒲園に向かいました。
その間約660メートル、のろのろした私の足取りで10分ほどの距離でした。
 

「高校2年の住み込みアルバイト」

 投稿者:ひまじん  投稿日:2017年 6月16日(金)09時18分27秒
返信・引用 編集済
  高校生で住み込みのアルバイトというのは、今まで聞いたことがありませんでした。

6時起床で午後9時までのハードなアルバイト、食事は従業員が後と思っていましたが、熱々の炊き立て
ご飯だとゆっくり落ち着いてたくさん食べられないというのがわかりました。
また、デパートへの納品の時には細かいチェックがあり、1ヶ所でも間違いがあると伝票の書き直しがあり、
再度持参するという厳しさも経験され、無事アルバイトを終わられた時はホッとされたことでしょう。

『他人の飯を食う』は多くの人と出会い自分自身の信用が最も重要だと痛感したと感じられたのは
貴重な経験だったと思います。
 

≪高校2年の夏休みに住み込みアルバイト≫を読んで・・・

 投稿者:旅人ーM  投稿日:2017年 6月15日(木)19時43分40秒
返信・引用 編集済
  ≪投稿文・概要≫です。

1.住み込みアルバイト決心・背景です。
(1)主人公・健二、高校2年生の時
(2)同じ高校の女子生徒の親戚の、≪お茶屋≫さんで
(3)夏休み期間中、住み込みでアルバイトさんを探しています。
(4)健二のお父さんは、小学生の頃他界、長兄に支えらえた生活をしていました。

(健二の心の中で、”やってみよう”という気持ちが湧きます)

2.アルバイト生活条件・内容の確認・紹介です。
(1)7月22日~8月30日間、お盆休み2日間
(2)勤務時間は、朝7時~夜9時まで、住み込み勤務でrす。
(3)勤務先は、小倉市(現・北九州市・小倉北区)、お茶・取扱業・『久木野』
(4)店舗業務内容、京都宇治茶仕入れ・販売・小売業、茶器等販売業

3.日々のアルバイト作業状況の回想所感
(1)朝6時起床、炊き立てのご飯に熱いみそ汁の朝食
(2)配達業務、納品業務・・・9時閉店まで・・・

(お店内でも、いろいろな整理しごともあったことでしょう)

簡潔で分かりやすい文面です。
(1)働くことを知った喜び
(2)初めて手にした、アルバイト代金の喜び
(3)"他人さまの飯を口にすることの実感”の喜び
・・・前向きの、若さあふれる喜びの行動が目に浮かび、伝わってきます。
 

「高校2年のアルバイト」

 投稿者:吟遊視人  投稿日:2017年 6月15日(木)12時21分12秒
返信・引用
  今回は健二少年が高校2年生となり、夏休みに住み込みでアルバイトした実体験です。
冒頭書かれている「他人の飯を食え」「かわいい子には旅をさせよ」ということわざは、確かに小・中学生のころよく聞いたものです。
だけど私が小さいころ住んでいた村には大きな店や住み込みで働く家はなかったようです。ただ記憶にあるのは村に2軒だけある医院でそこには看護婦さんが夜遅くまで住み込みで働いていました。ある時、夜に注射をうってもらうため、その医院へいったら、看護婦さんが注射をうちながら、「食事の用意の手伝いまでさせられているのよ」と中学生の私に愚痴をこぼしていたのを思い出します。また私の母の実家は大きな農家だったので、若い男の人が一人か二人常時住み込みでいて、農繁期などは夜遅くまで納屋や馬小屋で働いていました。あとで母から「ちょっとした罪で少年院や刑務所にいた人たちだけど、根はやさしい人だから、おじいちゃんが雇ったんだよ」と聞いたことがあります。
「住み込みで働く」ということはこのような記憶がありますので、遅くまで仕事することと、そこの家族の人と一日中付き合わなければならず大変なことだなと子供心に思っていました。

そのような「住み込みで働く」アルバイトをほとんどの夏休み期間(7月22日から8月30日)されたこと、6時起床から23時就寝まで、それも高校2年のときにとはまったく驚きです。
というのも、私などは高校のときにはアルバイトした経験もなく、大学生のころにやっていた家庭教師を7月22日までに8回やって(通常は週に2回ゆえに)、終わったらすぐに実家へ帰りました。帰ってみたらすぐに、地域の世話役みたいな人から、夏休み期間、近所の中学生10人ばかり一日に2時間2週間、勉強を(特に夏休みの宿題)見てもらえないかと相談を受け、7日間、それも一日おきという条件で引き受けた思い出があります。勉強させるだけで大変な思いをしたものです。
こんな思い出がありますので、鵜木さんの高校2年の住み込みアルバイトは、遊び盛りの高校生にとってはとても勇気のある決断であり、単にお金をもらう以上のものを得る体験だったことでしょう。
そして感心するのは、この本文では、なんら愚痴らしきものは出さずに、アルバイト先の「久木野」での人間関係などについては、むしろ店の大旦那や従業員を含め好意的に書かれていることです。仕事についても、忙しかったということは推察はできますので、取引先から「ごくろうさん」と言ってもらえたのがうれしかった、というように実に仕事への前向きの姿勢がうかがえます。

また私も30歳前後に門司港に勤務していたころ、小倉の到津というところにあった借家に住んでいたし、大門というところに友人が住んでいたので、本文に出てくる固有名詞にも懐かしく、色々な思い出が浮かんできました。
例えば「京町銀天街」とか「上野焼」「井筒屋」などです。ひとつ一つ書けば長くなるので止めますが、土地勘があるので、より実証的に鵜木さんの高校生アルバイトを読めたような気がします。
これからの健二少年の出会いや経験がまたまた興味が惹かれるところです。
 

「高校2年のアルバイト」を読んで

 投稿者:浪速びと  投稿日:2017年 6月15日(木)08時50分45秒
返信・引用
  この経験は、きっと健二君のその後の生活の一つの宝になっているのではないかと思います。
端緒は家計の扶けだったが、それ以上の収穫を健二にもたらしたのですね。
長い夏休み、普通ならプール、昼寝と暢気に楽しいことばかりに費やす者が多い中、よくこのような決断をしたと思います。
老舗のお茶屋さんでのアルバイトの様子が」実によく描写されていて住み込みの奉公は
時代劇で見るのに近いような気がします。長いアルバイトを終えて帰ってきた健二君に涙したお母さんは、アルバイトのお金をもらう以上の万感の思いがあったのだと思います。
どんなことからも物事を学ぼうとする健二少年(青年かな)の姿を垣間見ることができます。
昔は学生、生徒のアルバイトと言えば、新聞配達でしたが、昨今そのようなアルバイトをする若者はほとんどいなくて、町で目にするのは壮年、老年が多いです。知人に家業が新聞販売業の人がいましたが、アルバイトが容易に集まらず、お父さんが配達したり、時には知人が出勤前に配達をしていました。
世の中は変わってきました。
 

沼南ボーイさんへ

 投稿者:新風児  投稿日:2017年 6月13日(火)22時12分42秒
返信・引用
  パソコンが修復したとの事。おめでとうございます。

確かに私もパソコンの調子が悪いと、修復するのにとても時間を費やしてしまいます。とにかく時間がかかると言う事ですね。ですから、やっと良くなった!とお祝いしたくなります。

再度、おめでとうございます。これで無事復帰ですね。期待しています。よろしく!
 

修復しました。

 投稿者:沼南ボーイ  投稿日:2017年 6月13日(火)17時03分8秒
返信・引用
  パソコンが修復しました。これから投稿させていただきますのでよろしくお願いします。
 

初夏六月(19)(20)(21)

 投稿者:秋 たける  投稿日:2017年 6月13日(火)16時33分58秒
返信・引用 編集済
  10日、買い物に行く途中、公園の傍を通りましたら、アガパンサス咲いていました。誰が
植えたのでしょうか。年々少しずつ増えているような気がします(写真上)。帰りは少し
遠回りをして緑道を通りましたがその途中で、緑道に張り出している白いキョウチクトウを
見かけました。紅いキョウチクトウは暑い日中に見かけるといかにも暑苦しいのですが、
白は涼し気でいいですね(写真中)。工事現場では、赤いバラが咲いていました。(写真下)
 

水無月を撮る-4

 投稿者:うのたん  投稿日:2017年 6月12日(月)21時20分43秒
返信・引用
  雨に打たれるあじさいを撮りたかったのですが最近は雨が降らず、何れも近くの公園で撮ったあじさい3枚をご覧ください。
写真上:ピンク等のあじさい
写真中:白のあじさい
写真下:比較的大きなあじさい
 

初夏・六月(19)(20)(21)

 投稿者:秋 たける  投稿日:2017年 6月12日(月)09時31分48秒
返信・引用 編集済
  去年はアジサイを見に、鎌倉の寺を何か所もはしごをした覚えがある。今年はそのうちに、と思いつつ
未だ出かけていない。バス通りの日陰で咲くアジサイと我が家の庭で咲くアジサイを載せてみよう。

 写真上・中 バス通りの、日陰に咲くアジサイ。6月7日。
 写真下   庭のアジサイ。6月7日。
 

「牡丹」を読んで

 投稿者:秋 たける  投稿日:2017年 6月11日(日)16時24分28秒
返信・引用 編集済
  邦子さんの「牡丹」を読んで、わが「後生」を深く考えさせられました。
 人間の、絶対に消すことも、避けることもできない究極の不幸とは何か。お釈迦さまはこのように
説いておられます。それは老いること、病気になることそして人間は必ず死ぬ存在であることの三つ
であると。若い時の貧乏はまだいい、努力を重ねて行けば、いつかはそこから抜け出せるという希望
があるから。でも老病死はこの先、絶対に逆転することなく、日一日と目前に迫ってきています。そ
れだからと言って、ひとは皆うつむいて、毎日まいにち嘆き悲しんでいるかというとそうでもない。
そのことに気づかなかった、イノセントなこどものころは、楽しかった。1学年進むごとに背丈が伸
びた。新しいことを学び、友達が増えて生きる世界が広がって行った。わが世の春だった。そして今、
年老いて死が近づいて来た。それは避けようがないが、楽しかったころを思い出せば、あの時の自分
にもどれるような気がする。与えられた環境のなかで、自分なりに精一杯がんばって生きてと来たと、
肯定的に自己評価もいいのではないか。わが人生もまんざら捨てたものではなかった。
 この先、あの世に行けば先に逝った父母、兄弟、半世紀を越して連れ添ってくれた老妻のご両親に
もに会えるかもしれない。その時は「あのあと、私はこんな苦労をして勤めを果たし、こどもを育て
ました。五人の孫もいい子ばかりです」「何回もがんの手術を受け、その痛みにも耐えて来ました」
と、そんな娑婆の愚痴を聞いてもらおう。
 私の最後の願いはただ一つ、痛い痛いと喚き散らして、この世を恨み、呪って死ぬのではなくて、
老妻と子供たち、孫たちに感謝の言葉をのべて、これまでのように自分でも気がつかないうちに深い
眠りに落ちていたように、安らかに永遠の眠りにつくことだ。そうだ、家族にはわが葬儀のことも頼
んでおこう。お経の代わりに童謡を流してほしい。お棺の中に、その時期に家の庭に咲いている花を
入れてほしいな。春ならハナミズキや牡丹、アヤメ、藤の花。冬だったらサザンカ…。骨は砕いて
太平洋に撒いてほしい、と。
 邦子さん、牡丹のつぎは何の花が登場するのでしょうか。ますますのご健筆を祈ります。


 

初夏・六月(16)(17)(18)

 投稿者:秋 たける  投稿日:2017年 6月11日(日)10時52分19秒
返信・引用 編集済
  6月2日に撮ったわが家の庭に咲く花たちです。

 写真上 5月中旬からトケイソウが次から次に花を咲かせています
 写真中 ラベンダー
 写真下 サツキ
 

鵜木さんの写真とコメントをブログに

 投稿者:o-chan  投稿日:2017年 6月10日(土)23時22分47秒
返信・引用
  今日から16日まで鵜木さんの合評です。素敵な写真がブログに入りました。ご覧ください。

アロエ酒の作り方をありがとうございました。早速明日にでも焼酎を買い求め、アロエを切って干し、漬けてみましょう。一体どんな味になるんでしょうね。数年前に熟れすぎた梅を兄嫁(忙しくて漬ける暇がなかったらしく)からもらった時は、甘露煮を作ってけれど、とても美味しく出来たのを覚えています。

 

水無月を撮る-3

 投稿者:うのたん  投稿日:2017年 6月10日(土)17時18分59秒
返信・引用
  o-chanさんへ
アロエ酒の作り方をと言う事ですが我が家には特別マニユアルやレシビは有りません。本日、アロエ酒の仕込みをしましたのでご参考迄に書いてみます。インターネットではアロエ300g、ホワイトリカ1.8?、氷砂糖100~150gなどとなっていますが我が家は少し贅沢をして本日、仕込んだのは下記の通りです。
1.最初にアロエを良く洗いザルにのせ水を完全に切ります。 写真上
2.その後、アロエのとげを落とし約7~8センチに切り、瓶にいれます。
3.今回はアロエが沢山あったので1,2㎏づつ2瓶漬もけてみました。
4.アロエ1,2㎏ 氷砂糖700g 芋焼酎1,8?【昨年は球磨焼酎(米焼酎でした)】我が家は米焼酎又は芋焼酎を使います。11月以降はまろやかになっていると思いますのでよろしければ試飲してください。 写真下
5.インターネットでは2ヶ月でアロエを取り出すとなっていますが我が家は3~4ヶ月ほどしてアロエを出しました。その後、我が家は6ヶ月以上してから呑み始めたと思います。
*我が家のは砂糖が多すぎるかも知れません、もう少し少なめでも良いと思います。

◎アロエは万病の薬ともいわれ体には良いようです。私は毎朝、シングルグラス一杯をロックにして食前酒として呑んでいます。飲み過ぎないように注意しています。o-chanさんのベランダのアロエも大きくなったら有効に利用して上げると良いかもしれません。
 

アロエ

 投稿者:ひまじん  投稿日:2017年 6月10日(土)13時28分10秒
返信・引用
  我が家にもアロエがあります。

大きく成長して鉢が倒れそうになっています。

以前は太いものを切って皮をむき、透明の中身を刻んでサラダに入れたりしていました。
 

合評お礼

 投稿者:浪速びと  投稿日:2017年 6月10日(土)13時00分52秒
返信・引用
  合評ありがとうございます。
介護の現実を深刻がらず、それでも最期を見据える者には【現実はこうや】ということを描きたいという思いで書きました。
去年の今頃、母は好きなミシンを楽しみ、時代小説を読み、料理の下ごしらえをしてくれていました。しかし夏の猛暑に体調を崩し、以来生きる意欲を低下させ、半年前に【このままでは共倒れになる】と老人ホーム入所を希望し現在に至っています。今も母は当時の苦しさを思いだし、えらい目に遭うたと言います。

母はいつまでも死ねないことに絶望しています。私は「大丈夫やよ。いつになるか分からんけど絶対に死ねるから」と慰めます。
毎夜別れるときには、お休みの言葉と一緒に、「お父さんに会えなかったら、また明日私と会いましょ」と別れます。母は時折「あんたの老後を私が奪っている」と済まながります。
私も気が長くなりました。正直腹の立つことやイヤになることがありますが、怒らないと決意しました。
大体のことは深刻にならず笑いに代える、浪速の人間でよかったとつくづく思う日々です。
最期を看取る(待つ)日々は結構しんどいもんです。かえるさんにはいろいろ聞きたいもんです。
私の今の一番の懸念は、あんじょうに母を見送れるかどうかと言うことです。私も高齢者、体調不良を覚えることもあり、母が独り残ったらと思うと・・・。だから長生きは素晴らしいことだけど・・・。
思うこと、言いたいことを言い出せばきりがないです。合評のお礼にはなっていませんが、それぞれに感じていただいたことは、私を力づけます。ありがとうございます。

そうそう道子さん、有馬筆は書道の毛筆です。でもほとんどの人は使わず飾っていると思います。
 

「牡丹」合評

 投稿者:謙治  投稿日:2017年 6月10日(土)00時55分51秒
返信・引用
  中尾です。筒井さんの「牡丹」合評させていただきます。
介護施設、死を感じる主人公、重く、暗い設定がベースにあります。一方で、「牡丹」から想起させる色鮮やかさ、時折交じる関西弁の屈託の無さが、暗さを打ち消すようであり、逆に、暗さを助長する様にも感じます。ベッドに横たわりながら、亡き夫を思う。希望と絶望、いずれが強調されるべきなのか。この小説は、読み手の受け取り方により、希望と絶望、いずれにも変化し得る、不思議な物語の様に感じました。ただ、多くの読み手にとっては、悲しみよりも、亡き夫への愛情が人生の希望となることを考えさせ、愛情の大切さを理解させるのだと思います。死もしくは絶望と希望という難題を、平易に表現した秀逸な作品と私は感じました。
 

アロエ酒

 投稿者:o-chan  投稿日:2017年 6月 9日(金)22時07分52秒
返信・引用 編集済
  うちの狭いベランダにもアロエがありますが、これがどんどん大きくなって鉢からはみ出しそうで、先日ぼきぼきと大きい枝を折って捨てました。アロエ酒という手があったのですね。数年前に梅酒のために買った氷砂糖も残っているし、焼酎は麻雀会の時にくすねるので、自前で作れそうです。分量は少しでも大丈夫でしょうか。よかったら大雑把に分量と作り方を教えてください。アロエは増える一方なので利用できるなら何よりです。うのたんさんの写真の3分の一ほどのアロエと思ってください。

よろしくお願いします。
 

水無月を撮る-2

 投稿者:うのたん  投稿日:2017年 6月 9日(金)21時39分53秒
返信・引用
  関東地域も梅雨入りしたようですが雨はもう少し先になりそうです。
我が家にはお陰さまで親戚や友人やご近所の方から季節に相応しい物が届いたり戴いたりする事が有ります。本日、宮崎で農業を営んでいる高校の同窓生より早やトウモロコシが届きました。みっちり実がしまり甘くてとても美味しかったです。
また、ご近所の方からは立派なアロエをただきました。毎年、焼酎と氷砂糖でアロエ酒を作っていますのでこれまた、嬉しい頂き物です。昨年のアロエ酒を毎朝、食前酒としてシングルグラス一杯呑んでいます。その性か胃腸はすこぶる銚子が良いようです。
秋さんのように外での写真がなく申し訳ありません。今後、極力外の写真も投稿するようにします。
写真上:宮崎からのトウモロコシ
写真下:大きく元気なアロエ
 

「牡丹」を読んで

 投稿者:ひまじん  投稿日:2017年 6月 9日(金)20時04分38秒
返信・引用
  この作品を読んで、昨年11月に亡くなった母のことを思いだしました。

97歳でしたので「大往生でしたね」と言われましたが、もう少し穏やかに大往生させてあげればよかった
と思わないでもなかったです。

私がボランティアで月に2度尋ねるご高齢の方の中には、元気な方もおられますが、早くお迎えが来てほしい
という方もおられます。

筒井さんの今回の作品は、内容は暗いですが、読んでいて暗い気持ちにはなりませんでした。
 

「牡丹」を読んで

 投稿者:亮子OTTIGNON  投稿日:2017年 6月 8日(木)21時59分57秒
返信・引用
  私も感想になってしまいますが これを読みながら 長生きができることが全てよしとは行かないし、又人それぞれ、老後をそのときそのときで受け入れられる人と、やはり、特に今までは頭も体もしっかりしていた人に取っては 今の車椅子生活、又腰の痛み、そして色々な人の世話にならなくてははならないことに対しての、挫折感や、失意、いらいら感などを感じることも、よく理解できます。

ある意味で それこそ母もそうでしたが、アルツハイマーで、そういう意味での苦しみは無かったのでかえって、毎日、又死ぬことや、これから先のことも考えずに、その日その日を生活できたのは 家族にとっては つらいところはありますが(娘の私さえわからなく悲しいことでしたが)、本人にとってはそれほど不幸と感じなかったのは幸いでした。

私は 死ぬ時は、できれば 春の暖かい日差しの中で 椅子に座って水仙の咲く野原を眺めてそのまま眠りにつければ それこそ大往生。 私は弱虫なので、病院で管をつけられて苦しんで死ぬのはいやだし、邦子さんのお母様は床に着いたまま翌日起きることなく自然に逝きたいという気持ちが十分わかります。

これは本当に人によって違うと思いますが 生に対する願望がそれほど強くなく、、又十分に生きたという気持ち、これで後は静かに逝きたい。でもそれが出来ない場合は やはりどこかで 現状を受け入れてそれなりの暮らしが出来ないと本人がつらいだろうと思わされます。又いわゆる こちらでも問題になっている 最後の老人や病人の最終期などの Quality of life、( 生活の本質)などが検討され安楽死など。これからは 本人が望む望まぬに関わらず 寿命が延び、その長い老後をどのように乗り越えるか、そして人生の最終期を迎えるに辺り、本当に自分自身の選択が出来うるか、全てをそのまま受け入れていけるかどうか 一人ひとりにとっての大きい課題になると思います。

邦子さんが書かれた今回の作品は お母様の介護をされながら書かれたものだけあり、 とてもよく お母様の気持ちを代弁されていると思います。

それでいて、新風児さんも 書かれていましたが 牡丹の花のあざやかさとで 救われるところがあり、しっとりとした良い作品になっていると思います。
 

「牡丹」を読んで。

 投稿者:背泳ぎ好きのかえる  投稿日:2017年 6月 8日(木)20時10分30秒
返信・引用 編集済
  介護福祉士として介護現場で働いていて、高齢者の利用者さんたちに接している僕としては、この主人公の思いが重くのしかかってきます。

「私は倦んでいる」から「それとも自分では気付かないけど何か悪いことをして天罰を受けてるのかしら」
この最初の節を主人公は、毎日毎日繰り返しているのでしょう。
実際にそんなことをおっしゃる方もいらっしゃいます。

ー素直な感謝の言葉を口にすることは、出来るけれど、時には腹の中ではなんで「おありがとうございます」と卑屈にならねばならぬのかと情けない気持を噛みしめることもあるー
介助に対して「悪いわね。こんなことをさせて」と謝る利用者さんには、「今までお子さんたちに~さんはやってきたことだからお返しですよ」と言ってもみます。
でも、それはただの気休めかな?

ーいやな顔一つしないで年寄りの下の世話をしてくれるー
例えば、便失禁をして便まみれになった利用者さんを綺麗にして、汚れた衣服を替えて、そのあと、案外影では、愚痴をこぼしながら、それでも楽しんでいるところもあったりして介護士は、変なところもありますけどね。

施設に入所する際は、利用者さん本人の納得の上という建前があります。
でも、結局、建前は、建前ですね。

「病院も介護施設も『人間の尊厳』を守る」
そんな理念は、どこにやら。
ケアマネージャーや介護士は、家族に直接言いにくいような、利用者さん本人の意思を家族に伝えることも重要なのに、事勿れ主義なのか、それが出来ない場合がほとんどです。
それが、「人間の尊厳」を守ることに他ならないと思うのですが…

作品を読んで、思ったことを綴ってみました。


 

牡丹

 投稿者:吟遊視人  投稿日:2017年 6月 8日(木)17時12分22秒
返信・引用
  フィクションと思いながら読めれば、施設にいる老人の夢想や戯言として片付けられますが、なんだか自分の老後に、施設に入ってすべてに介護が必要になるような状態のことを想像すると複雑な思いが出てきます。
他人ごとではないような、身につまされるような、・・・それもそんなに遠いことでもないような感じになります。
それだけ作者の筆力や表現力が確かなものであると言えましょう。

聖路加病院の名誉院長の日野原さんのエッセイが朝日新聞の土曜版に毎週載っています。104歳になってまだまだ現役並みに講演したり、文章書いたり、半年後までびっしりとスケジュールが詰まっている日常など、驚異的に活動されている方ですが、この牡丹の主人公・私と対面させたい思いもします。
ただ向き合って話をしてもらうだけで、「私」になんらかの小さな変化を期待したいわけです。
日野原さんのエッセイには「生きる力」「命」「人間愛」などの言葉が沢山でてきますが、彼の博識とか、考え、などに共鳴する以上に、人と人との出会いを大切にしたり、対象やものごとへの好奇心や関心、社会的な視野などの幅広さに、また104歳とは思えない意欲に畏敬の念を感じざるをえません。

私の母も101歳8か月です。施設に入っていますが、食欲も次第に減退し、視力も弱まって、車椅子でないと動くこともできません。それでも月に一回見舞いに行けば、帰り際には「今度はいつ来るとね」とまた会えることを期待しています。入居しているご老人たちはほとんど母と同じような状態ですが、母は自分もよく耳が聞こえないくせに「話したい人はこの施設には誰もいない」と勝手なことをしゃべっています。ただ「早くお迎えがきてほしい」などの言葉は一回も聞いたことはありません。食事のとき以外はほとんど自分の部屋にいるか、寝ているかなのですが、まだまだ「生きる意欲」はありそうです。

ともあれ今回の「牡丹」に表象される死を迎えるだけが頭の中にある老女の描写は、小説の中だけではない、他人事ではない、という意味を再考させる内容ですね。
 

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