teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]


合評お礼

 投稿者:亮子OTTIGNON  投稿日:2018年 1月18日(木)03時51分15秒
返信・引用
  一月の初めは日本はいろいろな行事もあり、それぞれの写真を楽しんで拝見しています。

イギリスでの家族でのクリスマス 何時もは二人暮らしですので 滞在した借家では まだ私が主婦現役で 娘達が手伝いをしてくれましたが、毎日 皆借家に泊まっていたので8人分の食事や買い物の1週間 さすがに帰ってきたらちょっと疲れ気味。

それから家の 売買のための書類など ばたばたしていて あまり言の輪にも投稿できませんでした。

私の今回の二人の女の合評 本当に有難うございました。姉ではないけれど 少しは書くことにも なれて書きやすくなればと思うのですが、旅人さんではありませんが 毎年 難しく感じます。発想や 話の筋よりも もっと文章自体が少しは成長してほしいですが 他の方が書いているのと比べると どうしてもこの点がもう一つ しっかり出来ればと思わずにはいられません。まさに良いエッセイなどは内容もですが、その表現や書き方の特徴でその人也の個性とがありそれ自体の面白さが読みとめられるので 何とかそのレベルまでに なれればと思っているところです。
 
 

初春を撮る-2

 投稿者:うのたん  投稿日:2018年 1月17日(水)20時09分26秒
返信・引用
  秋さんは積極的な活動と写真撮影感服しています。写真を楽しませていただいてます。
また、北島さんのムク鳥の群れ凄いですね。JR津田沼駅周辺の木にも時々大群が止まり『ガチャガチャ』と相当、やかましい時が有ります・・・。

遅くなり申し訳ありません。私は7日に柴又帝釈天に言って来ました。7日というのに沢山の人出でした。それでもかってのふうてんの寅さん(渥美清)生前の頃とは少ないですが参道を歩くのにゆっくり、ゆっくり歩きました。帝釈天参拝後、江戸川の河川敷に出て矢切の渡し場や周辺をぼんやり眺めて来ました。矢切の渡し場を眺めながら映画『野菊の如き君なりき』(有田紀子、笠智衆:白黒映画)を思い出したりしました。
写真上:柴又帝釈天
写真中:木のあるところが今の矢切の渡し場
写真下:帝釈天前で買っただるま(良い事があれば目玉を入れます)
 

新春(34)(35)(36)

 投稿者:秋 たける  投稿日:2018年 1月17日(水)11時26分14秒
返信・引用 編集済
   写真上 富士山の写真を撮ろうとしてふと横をみると、ロウバイが咲いているのが
     目に入った。1月13日。
 写真中 こちらは16日に、いつもの道から撮った富士山と鎌倉の街の屋根
 写真下 時には夕暮れの時の富士山を載せてもいいのではないか。こちらは
     11日に撮ったもの。同じ団地(横浜)の屋根の上に重ねてみました。
 

新春 (31)(32)(33)

 投稿者:秋 たける  投稿日:2018年 1月16日(火)16時46分29秒
返信・引用 編集済
   吟遊さん、餅つきの子供さん、楽しそうですね。今日の朝日新聞の28面に面白い記事が載っていましたね。
総務省の家計調査によると、全国52都市のうち餅の年間購入額の1位 金沢市 2,955円、2位 富山市、3位
名古屋市、4位 福井市・・・・48位 那覇市、49位 宮崎市、50位 鹿児島市、51位 青森市、52位
秋田市 1,116円でした。分析も載っていますが、餅一つとっても地方色があります。統計は面白いですね。

 写真上 手持無沙汰な不忍池のスワンボート
 写真中 不忍池の畔に咲くツワブキ
 寫眞下 西郷さんの大河も始まったこともあり、銅像を撮りました。
                写真は3葉とも1月11日に写しました。
 

餅つき

 投稿者:吟遊視人  投稿日:2018年 1月15日(月)23時14分23秒
返信・引用 編集済
  先に秋さんの投稿写真に「餅つき大会」の模様が載っていましたが、私の住むマンションでも昨日の日曜日に一階のホールで餅つき会をやりました。
その時の写真です。
餅は小さい時によく食わせられたもので、そんなに好きではありませんが、さすがにつきたての
温かい黄な粉餅やのりで包んだ餅は美味しかったです。
 

旅人さんへ

 投稿者:吟遊視人  投稿日:2018年 1月14日(日)23時21分57秒
返信・引用
  私の合評を評価していただいてありがとうございます。いつも感想程度の合評をしてしまうので、こんなのでいいかなと思っています。
これからも感想なのか合評なのか、はっきりしない場合もあるかと思いますが、自分の思ったこと、感じたことを遠慮なくやっていこうと思っています。
 

新春 (28)(29)(30)

 投稿者:秋 たける  投稿日:2018年 1月14日(日)22時39分26秒
返信・引用 編集済
    写真上 不忍池の堤防の道で雀にエサをやる人がいたので、間近で写させてもらった。野生の雀は
     何の疑いも持たずその人の指先から餌をもらっていた。
 写真中 こちらは枯れ蓮のなかで身を隠すようにして餌を捕る鴨。
 写真下 鉄の杭の上で羽を休める鴎。池の端の高層ビルの白い影が
     池の面にゆらいでいました。写真は1月11日、不忍池で写す。
 

亮子さんの合評

 投稿者:o-chan  投稿日:2018年 1月14日(日)21時20分43秒
返信・引用
  前号の「二人の女」の続編で、とても面白く出来ている。前号の主人公は男で二人の女はもちろん彼の妻と愛人だけど、今号の二人は誰だろうか。旅人さんは節子の母と北山のおばさんと思われたようですが、前号と同じに相手の男の妻と自分自身、と考えることもできるでしょう。でも、私は亮子さんの性格を考えると、ほとんど何も考えずに前号の続きだから同じ題名にしたんじゃないないかな。

私も前に職場の同僚との不倫を書き、その後続編として、老年に達した二人が長年連れ添った夫婦の様な関係になった話を書いた事を思い出しました。

亮子さんの作品では二人とも、始めた若い時でさえ不倫が伴う愛憎感やスリル感、罪悪感があまりない。男側には身勝手という認識は多少ありながら、妻とは別の女性、それも生活力もあり、愛情に関しても部をわきまえた女性との情事を程々に楽しみ、老後はそれなりに面倒もみてもらい、ある意味男冥利につきる一生を終える。女も相手の家族を含め、これが自分にとって本来のあるべき日常と受け止め、長年連れ添った相手の妻の存在も自分の幸せの条件だったと思い返す。妻に露見し離婚する結果になったり、早くに男やもめになったとかすれば、どんな展開になっていただろうか。そういう展開を空想した事はなかったのだろうか。煩わしさが先立って、もしかしたら彼と離別していたかもしれない。

男としてはそれほど変わっているとは思えないけれど、女としては一度も家庭を持つ事がなく、またそういう望みを持つ事さえなかった節子は、最近こそ束縛を嫌う自立型の女性が増えてきてはいるけど、私たちと同じ世代であれば、やっぱり変わっているのではないだろうか。男関係は全くなかったわけではなさそうだけど、何を捨てても一緒になりたいという人に出会わなかった、とある。節子にとって結婚は何かを捨てる事を意味したのだろうか。何かは「自由」だったのか。結婚することは相手のためにある意味自分を捨てることにつながる、と思っていたのかもしれない。愛人でいれば、その時だけ相手に合わせ、楽しみ、残りの時間は全て自分の思う通りに使える。夫に対する責任も相手の妻がちゃんと果たしてくれるし、節子にとっても「よいとこどり」だったのだろう。

そういう心境は育ちと何らかの関係があったのだろうか。父親の消息については述べられていないが、物心ついた時から母子家庭、それも貧しく明日の安全を目標とする、子供にとっては夢も希望もない生活だった。隣の北山さんは似たような境遇だったけれど、楽天的で、これは母子家庭になった由来とも多少は関係があるのかもしれない。

母親は「何かあった時のために」が生きる信条だったけれど、そう思うにはそれだけの過程があったのだろう。

私の母も子供3人を連れて未亡人となり満州から引き揚げてきた時、祖父母の教育熱心なおかげで高等教育を受けていたので、地方公務員としての堅実な職を得た。だから節子の母と同じように「結婚しても何があるかわからない、自分ができることは教育を受けさせること」と言って、私を大学に行かせてくれた。そう言われた事はよく覚えています。きっと実感だったのでしょう。また、私が就職して母に少しばかりの小遣いをあげたのを貯金しておいて、留学する時に渡してくれた事も思い出します。親は子供のことを本当に一生懸命考えるものです。そして節子の場合のように、それがうまく伝わらない場合も、よくありますね。

最後の段落で、もし彼が妻子を捨てて彼女の元に走るような「薄情」者であったなら、彼女も捨てられる可能性もあっただろう、とある。でも誰かを本気に好きになり、いつも一緒にいたい、という強い感情が起きた時は、そんな事は言っていられないだろう、とも思う。

お互い便宜的で、立場上経済上、犠牲もほとんど払う必要がなく、特に男側には家族を作り、自分の子孫を残し慈しむ機会も享受できる、理想的な環境だったでしょうが、女側は妻としては不利益な面しか見えなかったかもしれないが、女としての母性を経験したいと望んだ事はなかったのだろうか。結婚しなくても子供はできるし、結婚しても子供はできないこともあるから、こればかりは運だけど、もう少し節子の気持ちを聞いてみたい気がします。

このようにあれこれ自分の個人的な経験から引き起こされる様々な感情を、とても楽しみました。またぜひ、このような人間について感情を喚起させてくれる作品をお願いしますね。


 

田村の写真とコメントをブログに

 投稿者:o-chan  投稿日:2018年 1月14日(日)20時26分40秒
返信・引用 編集済
  今日から20日まで田村の合評です。まだまだ年明けの余韻で合評の雰囲気ではないかもしれませんが、作者にしてみれば、読者がどんな風に読んでくれたかが、一番の関心事です。どうぞよろしくお願いします。

ブログには帰る直前娘に撮ってもらったアルちゃんを抱いた写真をいれました。今は施設から預かっている子猫を含め、他に5匹います。

 

『吟遊視人氏』の合評に感銘・・・

 投稿者:旅人ーM  投稿日:2018年 1月14日(日)08時45分3秒
返信・引用
  吟遊視人氏の、『≪二人の女・節子≫を読んでの合評』に感銘を受けました。

1.≪節子の心情を抑制した書き方で実に微妙に表現されている≫
2.節子と正樹との関係で、≪男女の愛情関係になる自然な感情が云々・・・≫
3.・・・等々、男女の間の微妙な心理描写の巧さ・・・といったと評されています。

残念ながら、小生はそうしたところまで気が回りませんでした。
そうした、≪深い読み方≫をしなければ・・・勉強させられました。
有難うございます。
 

「二人の女・節子」を読んで

 投稿者:吟遊視人  投稿日:2018年 1月13日(土)23時35分0秒
返信・引用
  80歳になり老境にある節子が歩んできた話です。というより主に愛人であった正樹との心象風景の模様や状況を描いた物語なのかもしれません。
いつもの読後感ですが、淡白な男女関係の話のようでもあり、また特別なことでもなく、ごく普通に世間にありそうな話でもあります。
特筆したいのは、節子の心情を抑制した書き方で実に微妙に素直に表現されていることです。

節子が正樹と初めて深い関係ができた時には、
「お互いになんとなく居心地の悪さを感じたくらいだったが、それと同時に自分の中に何か新しいものを発見したような、自分の殻を脱ぎ捨てたような新鮮さをお互いに感じて、急速に惹かれていった。それは恋焦がれるというような激しいものではなく、なんだか自然にこうなるべきでこうなったというような感覚だった」
と節子の心情をうまく表現されています。男女の愛情関係になる自然な感情を述べてあります。

また節子と正樹の愛人関係が永く続いたのは、
「正樹自身の性格も大いにあったと思うのは“何かあった時のために”とか“何とかなるさ”ではなく、節子のように理屈っぽくもなく、どちらかというとおっとりした思いやりと、自然体でいられる態度と、このような愛人関係に対しての罪悪感や葛藤がないようにおもえたからだ」
同時に節子にも理屈っぽいところはあっても、正樹の立場や感情を理解できる倫理観のような気持ちがあったことが、40年以上も続いたことの理由になるのでしょう。

そして最後には節子の述懐として、
「最後まで正樹との関係が、初めに決めたように愛人であり、道連れの旅人であり、81歳で亡くなるまで節子の列車に途中で下車することもなく乗ってくれたことを今でも感謝している。私は自分の好きなように生きたが、これができたのは正樹と(私の存在を知らなかったとはいえ)彼の妻のお蔭であると今でも思う。私は十分に幸せだった」

小さい時にはそれほど幸せだったとは思えない節子にとって、成人となってからの人生を、それなりに肯定できるということは、読者としても「なんだかほっとするような」気持ちになれます。独身で通した女性を「シングル」あるいは「おひとりさま」とか言うことがありますが、問題はその本人の気持ちの持ちようだということが、この小説を読むと今更ながらよくわかります。

男の立場から言えば、人生の一部分でもよいから、このような女性と関係ができれば、男の人生にもある種の彩を添えてくれるのではと思ったりしたものです。


 

『二人の女・・・≪節子≫』を読んで・・・

 投稿者:旅人ーM  投稿日:2018年 1月13日(土)19時11分12秒
返信・引用 編集済
  主人公である、節子の回想体験が≪あらすじ≫となって展開されている≪小説≫として読ませていただきました。

1.節子は、早くに夫を亡くした母との二人暮らしです。母は母子家庭で看護士をしながら、薄暗いアパート暮らしで、いつも母親の『何かあった時のために』『何かあると困るから』という声を聞きながら、の毎日です。
2.そんな折、母と似たような境遇でありながら、性格・生活態度が全く異なり、『世の中どうにもならないこともあるいし』『何とかなるものさ』と口ししている、北山さんというおばさんが、隣に引っ越してきて懇意になります。
3.そんな元気そうだった北山さんですが、節子が高校生の頃50歳を過ぎたところで亡くなります。
4.節子は苦しい生活の中、奨学金を受け、アルバイトをして大学を卒業して就職。やり遂げた実感に浸ります。
5.二人の働きで、経済的にもゆとりが出来たと思えた頃、母・すみ子が50歳を過ぎたところで、あっけなく亡くなってしまいます。
6.節子は住み慣れた古い木造アパートを出て、モダンなアパートに移り、初めて自分本意の自由な生活を始めた気分になります。26歳の時です。
7.節子にとっては、仕事中心の充実した、10年が過ぎてゆきました。
8.36歳。そんな折、同じ職場の正樹と、ごく自然な男と女という状態での、情交に限定したような交遊が始まります。節子にとっては、40代の春の楽しみにひたることになります。
9.情交の交遊は夏のような心地で、50代も続きます。
10.60代・・・情交は減少しながらも、秋へと続きます。
11.節子も退職し、正樹も退職し、前立腺の手術で入院することになった頃、節子は冬、≪終着≫を感じるようになります。

・・・駆け足で、そんな風に読ませて頂きました。(誤解・誤読もあるかと思います。
タイトルで『二人の女』とありますが、母・すみ子と北山のおばさんの生き方と考えさせていただきました。
終章で節子が、自身は『何かあったときのために』生きていたと感じていますが、むしろ、『何とかなるさ』という生き方をしていたのではないかと、感じました。

なぜなら、『何かあったときのために』という気持ちの生き方だったら、もっと、正樹に頼る生き方をしていたのではないかと思いますが・・・
 

新春 (25)(26)(27)

 投稿者:秋 たける  投稿日:2018年 1月13日(土)16時48分58秒
返信・引用 編集済
  写真上 ある新年懇親会会場の、池の端東天紅の五階から見た上野のお山と不忍の池に
     繋がれた乗り手を待つスワンボート。
写真中 不忍池の枯蓮。この懇親会の会場はここ数年間、開催時期は1月10前後、会場は
     東天紅の、同じ部屋なのでまるで不忍池の定時、定点観測をしているような気分
     で雄大な景色が楽しんでいます。
写真下 帰りは上野駅へ出るるのにわざわざの不忍池を横断しました。枯蓮の空いた水面に
     白い雲が浮かんでいました。1月11日、写す。 
 

新春(22)(23)(24)

 投稿者:秋 たける  投稿日:2018年 1月12日(金)22時10分17秒
返信・引用 編集済
  湯島通れば 想い出す/お蔦(つた)主税(ちから)の 心意気
知るや白梅 玉垣(たまがき)に/残る二人の 影法師・・・

 昨日、新年懇親会が一つ池の端の東天紅でありました。集合場所はすぐ近くの湯島天満宮でした。
 今は受験シーズンの真っ最中、境内はお札を求めるひと、絵馬を奉納するひと、神前で祈願する人で
 境内は大賑わいでした。
 アメリカと北朝鮮が核のボタンを押さないように、どこかの国の首相が国難だと煽り立て、ほんとの
 国難を招かないよう祈願しました。そのあとしげしげと境内の梅を見上げてみました。
  写真は1月11日、都内で写す

 写真上 枝の先に白夢の蕾がほころび始めていました。
 写真中 こちらは堅い蕾のまま・・・
 写真下 合格祈願の絵馬が何重にも掛けられた絵馬掛けの後ろの梅も蕾のままでした

 

熊本さんの合評

 投稿者:o-chan  投稿日:2018年 1月11日(木)00時32分49秒
返信・引用
  大分遅れましたが熊本さんの合評です。時差ぼけで頭が働かず、あまりきちんとした文章が書けませんが(時差ぼけがなくても変わらないかも)ほんの感想です。

今回は昭和2年の出来事で、私の母が大正元年生まれなので、17歳の時ですよね。同じ九州でこんな大災害があったことを、母は覚えていただろうか、とふと思ったものです。

構成をみると、最初の段落では災害後の復旧に携わる主人公の様子が出てきて、時代、場所、災害の種類、主人公の名前、職務が紹介されていて、2段落以降は時間を逆行して実際の災害の有様が時系列に書かれて、そのまま次号へと続いています。面白い書き方ですね。どんな意図があるのでしょうか。

2段落からは具体的にその予兆から主人公やその家族たちが動く様を丁寧に書いていきます。特に「」の中の主人公の声かけがとても効果的です。津波を察して主人公は屋根裏、次に地蔵堂のそばの大木へと家族を導いて行く。その前に米俵を3個屋根裏に確保するけれど、これは果たして無事に残ったのでしょうか。
津波が押し寄せてくる様子とその中に巻き込まれ流される家や人たちの描写が、どれもとても真に迫っていて、映画やテレビをみるように読者に伝わってきます。さすがですね。

主人公が生き残ったことは最初の段落で明らかだけど、この津波の原因が何であったか、集落のほとんどを流しただけでなく、さらに大きな被害が起きていたとは、何なのか。悲劇なので期待をするのが憚れるけれど、次回を心して待ちましょう。




 

新春 (19)(20(21)

 投稿者:秋 たける  投稿日:2018年 1月10日(水)11時30分11秒
返信・引用 編集済
  今日もわが団地のどんど焼きを見ていただきましょう。普段は年寄りの街になった団地も
お正月のどんど焼きとお盆の夏祭りにはお子さんがおじいちゃん、おばあちゃんを訪ねて
来て俄かに賑やかになります。私のこどものころは餅つきは家庭の行事でしたが、現代の
お子さんはこんな機会でもなければ餅つきを直接見ることも体験することもないでしょう。
餅つきが出来た子は周りから「よいしょ」と声をかけてもらい嬉しそうた。1月8日、写す。
 

大潮害合評御礼

 投稿者:熊本太郎  投稿日:2018年 1月10日(水)08時51分36秒
返信・引用
  吟遊さん・トトさん 私のつたない作品を読んでいただき感謝します。 災害は恐怖を一度に味わうようなものですよね。 特に自分の事や、地域のこととなるとすぐ自分を重ねようとしてしまいます。 これまで長老から聞いたことはほんの少しでしたが、経験者がいなくなる程人々の記憶は薄れて行くものですね。そういう意味では第2次大戦やそのあとの生活の苦しさを知らない世代が発言力を増すことに一抹の不安を覚えています。戦争に行って生き残ったた男(爺さんたち)はとても少なく、ばあ様が多い私たちの集落でも特に戦中・戦後の自分の苦しかったことを声に出して発言する人は本当に少なくなりました。あまりにも辛かったことを話すのは心の中に恥として抱えているからでしょうかね。悲しいことです。  

新春 (17)

 投稿者:秋 たける  投稿日:2018年 1月 9日(火)16時51分56秒
返信・引用
  写真中 お餅の列。
 先にうまく投稿できませんでした。追加します。
 

新春 (16)(17)(18)

 投稿者:秋 たける  投稿日:2018年 1月 9日(火)16時11分19秒
返信・引用 編集済
  昨日(1月8日)はこの団地自治会のどんど焼き。曇り空ながらお終いまで雨も降らず、この団地の
1,500世帯の門松に使われた松飾やしめ縄を手にした人たちが次々とあつまりお正月気分満載の賑わい
でした。松飾集まりを担当の人に渡すと、思い思いにご酒、お餅、焼き芋の列にならんでいました。

 写真上 どんど焼きの焚火
 写真中 お餅には長い長い列ができていました。
 写真下 裏方さん大忙し。興味深かったのはきなことあんこのついたお餅を載せるお皿とお箸は
     プラスチック製のりユース、自宅には持ち帰らないようにとの放送が流れていたことです。
 

新春 (13)(14)(15)

 投稿者:秋 たける  投稿日:2018年 1月 8日(月)12時32分56秒
返信・引用 編集済
  吟遊さんのムクドリ、ヒチコックの「鳥」を思い出させますが、景色として見ればきれい
ですね。そういえば昔あんなに身の周りにいた雀はすっかりいなくなりました。

昨日・1月7日、横浜で孫たちと会食しました。横浜駅周辺はお正月の買い物客で大賑わい
でした。その行き帰り見かけた、新春らしい華やかな三景を選んでみました。

 写真上 横浜高島屋の凧の飾り
 写真中 横浜駅前の黄金色の銅像
 写真下 こちらは港南台の駅前で

 
 

亮子さんの写真とコメントをブログに

 投稿者:o-chan  投稿日:2018年 1月 8日(月)12時29分29秒
返信・引用
  お正月は何かと忙しかったでしょうから、熊本さんの合評を今日までに延長し、明日から亮子さんの合評とします。写真とコメントを一足先に入れました。

器量好しの娘二人と同じくらい若く美人の母親の写真です。ご覧ください。

熊本さんの合評は私もこれからなので、他の方々も新年早々、楽しんで合評しましょう。

吟遊さんのムクドリはすごいですね。ムクドリはこんなに群れるんでしょうか。何か原因があるのかな。

さて、私ですが、一昨日深夜、ほとんど昨日無事に帰国しました。娘の住んでいるクイーンズはそれほどひどくなかったけれど、場所によって大雪だったようで、10時発の飛行機は3時半まで遅れ、飛行場でこれまた1時間ほど待ち、やっと搭乗できたのでほっとしていたら、4個ある滑走路の3個がまだ除雪の最中で20機ほど離着陸の待機中とやらで、さらに1時間半ほど待ち、離陸しました。その後は順調で、もう少し遅れたら最終電車に間に合わなかったところでした。昨日はなんと12時間ほど寝てしまいました。時差ぼけだけでなく、6匹の猫は夜が活動の時間なので、子猫は特に、時には大人の猫も物凄い勢いで、ベッドの上も含め走り回り、眠りの浅い私は熟睡した記憶がなかったですね。でもとても可愛く、ドアを閉めて追い出すのは私が淋しかったので、しょうがないです。だから帰って来たら時差もなにもなく、ただ誰にも邪魔されず熟睡した、ということでしょう。向こうにいた間はずっと半分寝ぼけ状態で、オペラもミュージカルも半分くらいうとうとしてしまいました。まあ、こっちでも似たような生活ですが。

 

ムク鳥(?)の大群

 投稿者:吟遊視人  投稿日:2018年 1月 7日(日)00時19分58秒
返信・引用
  今日、近くのイオンで買い物した後に外に出たらムク鳥の大群が電線やその周囲を舞っていました。
その時の模様をスマートフォンで撮ったものです。
 

大潮害

 投稿者:トト  投稿日:2018年 1月 6日(土)17時02分38秒
返信・引用 編集済
  吟遊視人 さんが既に御指摘になっていますが、私も全く同様な感想を持ちました。主人公や周辺の人々が実に活き活きと大変な災難にあっている様子が表現されています。しかも、簡潔で、まさに映画を観ているようにその有様がわかります。

今回はおそらくこの災害を描く文章の導入部でしょうから、これから、さらにさまざまな描写をして戴けるのだろうと楽しみです。

私も熊本には若い時に4年、20年程前に2年、都合6年住んだことがありますので、大いに親近感のある土地です。むしろ第二の故郷ともいうべき土地です。

その土地の出来事をさらに深く学べる、とてもありがといことです。次回以降を大いに楽しみにさせていただきます。

尚、文章の中に梯子を榎の枝に結びつけるという表現がありますが、これはハシゴの使い方の最も基本的なやり方ですが、筆者は御存じだったのですね。ビックリしました。
 

新春 (10)(11)(12)

 投稿者:秋 たける  投稿日:2018年 1月 6日(土)15時05分14秒
返信・引用 編集済
  私の住んでる団地の中を通る道路が区民のロードレースのコースになるので、ランナーとそれを
応援の人たちでにぎわいます。

 写真上 ロードレースの往路、富士山の山腹から湧きだすようにランナーたちがこちらに
     向かって走ってきます。
 写真中 復路はランナーたちが富士山に吸い込まれるようにして戻って行きます。
 写真下 レースが終わると、公園の中の小山は急に静かになります。
                         今日・1月6日、横浜で写す
 

「大潮害(集落の危機)」を読んで

 投稿者:吟遊視人  投稿日:2018年 1月 5日(金)19時21分42秒
返信・引用 編集済
  冒頭、「昭和2年の秋に有明海沿岸を襲った大津波は貧しい海浜の集落に大きな爪痕を残していった・・・・」とありますので、やはりこの物語も史実を背景にして展開されるものかなと思い、この大津波の事実や実態を調べてみることにしました。

インターネットで「九州災害履歴情報」というのがあって、九州管内で発生した主な災害記録が西暦500年ぐらいから載っています。その中には確かに昭和2年台風9号による高潮被害があったことが記されています。熊本市だけでなく玉名市、宇土市などの被害がひどく死者、行方不明者合わせて423人と多くの犠牲者がでた大災害であったことが記録されています。

山田さんは当然この地元におけるこの大災害の歴史的な事実をご存じでしょうから、これを題材としてこれからの物語が展開されることでしょう。

今回の作品を2回読みました。1回目には7年前の3・11に発生した大津波の大災害時の模様をテレビで見たときのことを思い出しました。

だけど2回目の読後感は、昭和2年、今から約90年前の出来事なので、避難訓練や公共の救助態勢など、台風や水害へのインフラ整備も十分になされていない時代の、大災害の人々の避難がどんなにか命がけのものであったのだろうことがわかりました。
つまり山田さんの描写力や表現力が読者へその大災害の模様と人々の慌てふためく避難の模様が実に生々しく伝わってくるということです。
平作やその妻アサ、長男の正雄、森梅次、鉄男夫婦や彼らの子供、などの登場人物の動きや叫びが、まさに映画のシ~ンを見る感じで伝わってきます。

圧巻は平作の家自体も危険になり母屋の軒下に吊るしていた梯子を地蔵堂の横にある大榎にたてかけ、小屋から持ち出した荒縄を切って梯子の上部を榎の枝に括り付けて、家族や村人を大榎の木に登らせて高潮から避難させるシ~ン、そして苦労して大樹に登った瞬間、地蔵堂に避難していた村人ともども高潮が地蔵堂を襲い濁流に呑み込まれていく場面です。

今回の最後には「しかしこの榎の大木がある松塘の西にある2番堤防や、坪井川のちかくにある荒神宮付近ではさらに大きな悲劇が起きていたのである」と記されているので、この大災害は近くの地域にも更に大きな爪痕を残していくものと推察されます。
次号のこの大災害と村人の平作をはじめとする人々の行く末の展開を期待します。
 

新春 (7)(8)(9)

 投稿者:秋 たける  投稿日:2018年 1月 4日(木)18時33分54秒
返信・引用 編集済
  写真上 屋根の上に載った富士山。
写真中 ヤマモモの下で真っ赤な実をつけるマンリョウ。間もなくこの実をを採りに
     どこからとなくヒヨドリがやってくることでしょう。
写真下 お茶うけに花びら餅が出て来た。「はなびら餅とは、京都でお正月にだけいただく
     伝統の御菓子の一つで、柔らかいお餅に京都のお雑煮に見立てた白味噌のあんを
     ごぼうと共に求肥で包んであるお菓子です」(某お菓子屋さんのHPから)
     写真が、上から順に白妙の富士の白、マンリョウの紅、花びら餅の白と、めでたく
     白紅白が重なりました。元旦に横浜で撮りました。
 

54号の担当とテーマ

 投稿者:o-chan  投稿日:2018年 1月 3日(水)19時51分55秒
返信・引用
  2月発刊予定の54号の担当は田之頭さんが引き受けてくださり、早速テーマをいただきました。「観」です。読み方の指示は今のところありません。

「喜寿にして『自分の内面を観る』
至らなさばかりの自分に情けなさを感じつこの頃。
観る、 内観・外観・観賞・・・」

というコメントがついていました。奥深いテーマですね。

パソコンを開けると猫達が寄ってきて、上を歩き回るので、なかなかはかどりません。でもどの子もとても可愛いです。そのうち猫の写真もいれますね。
 

新春 (4)(5)(6)

 投稿者:秋 たける  投稿日:2018年 1月 3日(水)10時51分4秒
返信・引用 編集済
  元旦にいつもの富士山の撮影ポイントでカメラを構えていると、同じように富士山を撮りに
来た親子が画面の中に入ってきました。しめしめ、眺める人影があってこその富士山です。
ありがたく親子を入れてシャッターを押しました(写真上)

 公園の広場まで来ますと、ケヤキの下の、日当たりのいいベンチで一人腰かけて、悠然と
新聞を読んでいる人がいました。今年も一年世界が穏やかで平和な年でありますように(写真中)。

 我が家の夏みかん。数えたことはありませんが、黄色は暖色と言われるだけあって、眺めて
いるだけで暖かく感じられます(写真下)写真は3枚とも元旦に、横浜で撮りました。
 

初春

 投稿者:うのたん  投稿日:2018年 1月 2日(火)22時09分18秒
返信・引用
  田村様 外ご一同様
新年明けましておめでとうございます。今年も何卒よろしくお願い申し上げます。

皆様、良き新年を迎えられた事と思います。今年も衰えて来た脳にむち打って『続グミの木』を書いて行きますので何卒よろしくお願いいたします。
本日、初詣に二つの神社を参拝して来ました。おみくじは第十四番 大吉でした。しかし、身を引き締めて作品投稿や合評に努力したいと思います。

新年から秋さんの富士山の写真、北島さんの初日の出や輝く初日を浴びたビル群の写真、楽しく拝見しています。

写真は姫路から送られて来たゆずです
 

初日

 投稿者:吟遊視人  投稿日:2018年 1月 1日(月)23時42分42秒
返信・引用
  明けましておめでとうございます。
私も2018年の初撮りです。部屋から撮った初日の3枚です。
 

新春(1)(2)(3)

 投稿者:秋 たける  投稿日:2018年 1月 1日(月)17時36分41秒
返信・引用 編集済
  明けましておめでとうございます。本年もよろしくお付き合いください。
 2018年の初撮りです。

 写真上 初富士。我が家のすぐ近くの道路から
 写真中 洗面所の一輪挿し
 写真下 ゆうもや公園で
 

『合評お礼』に替えて・・・

 投稿者:旅人ーM  投稿日:2018年 1月 1日(月)17時21分41秒
返信・引用 編集済
  朝日新聞の天声人語や読売新聞の編集手帳で学びながら、随想文・習作をトライしています。
言の輪への投稿は、3か月に一度ですので、いろいろ題材が浮かびそうですが、どうしても自己体験からの出発が多くなってしまいます。

春季号・・・『老いの立志』
夏季号・・・『老いの旅』
秋季号・・・『老いの学習』
・・・と並んでしまいました。

プロの文と違って、専門的な知識や量もなく、いきおい、≪図書館頼り≫になり、あれも書きたい、これも使いたい・・・ということになってしまいます。

今回の投稿文で言うなら、全体的に半分(2ページ)ほどにまとめて、メリハリのある文にできなかったかと感じています。

O-chan から指摘があった、『自分を褒めてやりたい』という言葉は・・・
アトランタ・オリンピック、女子マラソン・銅メダリストの有森裕子選手が、スランプもあったからなのでしょう・・・バルセロナの銀メダルよりも、アトランタの銅の方が頑張れたということで・・・『自分を褒めてやりたい』と語った逸話を引用しました。

アメリカのどこかのハイ・スクールの『教科書』でも、採用されていたという、ニュースもあったと記憶しています・・・『名言』ですね・・・。
 

謹賀新年

 投稿者:亮子OTTIGNON  投稿日:2018年 1月 1日(月)08時19分23秒
返信・引用
  フランスは今年が明けました。エッフェル塔から凱旋門まで 人が一杯で 花火がとても盛大でした。

開けましておめでとうございます。今年もどうか宜しくお願いします。

 

熊本さんの写真とコメントをブログに

 投稿者:o-chan  投稿日:2018年 1月 1日(月)07時22分21秒
返信・引用
  皆様 新年 あけまして おめでとうございます。

亮子さんの予定でしたが、まだ写真などこちらに届いていないので、先に熊本さんの合評に入ります。


今日から6日まで熊本さんの合評で、写真とコメントがブログに入りましたが、グリーンのジャンバーが山田さんで。前列右端が奥様だそうです。

寒い北風の中での地域活動だった、とあります。本当にご苦労さまでした。
 

合評お礼-4

 投稿者:うのたん  投稿日:2017年12月31日(日)17時22分8秒
返信・引用
  イマジン様
ご丁寧な合評を戴き有難うございます。身に余る思いです。お礼が遅くなり申し訳ありません。

空襲で逃げ回った事も戦時中戦後の食糧難は幼い子供達にとっては苦痛でした。
今では玉子は比較的安価で買えますが当時(昭和18年~25年?頃)玉子は主に病気の方や妊婦さん等に優先的に配給されていました。その性かこの歳になっても玉子は大好きです。

小倉の紫川でメダカを見ましたが佐賀県の三田川駅から神埼に向かう途中、奇麗な小川でメダカが泳いでいるのや鮒を良く見ました。苦しかった少年時代でしたがこのような自然で忘れがたい光景を見られたのは本当に良かったと思います。今の子供達には一部を除いては見た事が無いのではと思います。
やはり、子供達にはありのままの自然を多く見せるべきだと思いますね。

話は変わりますが最近、ビルマのロヒンギャ難民のことが良く報じられています。イマジンさんが以前、ビルマの少数民族の事を書かれたのを思い出します。50万~60万人とも言われるロヒンギャ難民がパングラデシュへ避難するなど大変な事態ですね。少数民族の問題、日本も援助していようですが難民の方々が早く人道的、平和的に解決する事を祈るばかりです。
 

合評お礼-3

 投稿者:うのたん  投稿日:2017年12月31日(日)16時29分10秒
返信・引用
  o-chan様
NYへ飛び立つ前の成田空港ラウンジで合評を書いていただき有難うございます。慌ただしい中、頭が下がります。
今はNYでお嬢さんと楽しんでいる事とお察しします。またNY便り興味深く拝見しています。私のように外国に行った事のない者にはとても新鮮です。ゆっくり親子水入らずでお楽しみください・・・。

このお礼を書きながら昭和20年前後からの事を思い浮かべています。その頃、近所の方に満州から引き揚げて来られた家族がいました。5-6人家族でその子供と遊んだりしましたが大変だったようです。今でも、NHKラジオから尋ね人の放送で『元満州○○におられた◎◎さん、△△さんが探しています・・・』の放送を思い出します。。引き揚げ船の興安丸や高砂丸が舞鶴港に到着し、沢山の方々が降りて来られ、そのお顔には安堵と疲れを感じました。あれからすでに75年以上が経ちました記憶は今でも当時のままです。では、NYでごゆっくりお過ごしください。有難うござました。
 

NY便り2

 投稿者:o-chan  投稿日:2017年12月31日(日)14時12分6秒
返信・引用 編集済
  今日はお昼頃から雪が降り、あっという間に積もったけれど、2時間ほどで止み、雪かきも終わったら歩くのに不自由しませんでした。

予定の一つのミュージカルWickedというのをガーシュインシアターに観に行きました。「悪い魔法使い」という意味のタイトルで、二人の女主人公のどちらも結局は悪くなかったという話です。オズの魔法使いのスピンオフでしょうね。素晴らしい歌唱力で、堪能しました。

劇場はタイムズスクエアの近くだったので、その写真を掲載します。こちらはまだ30日で、明日のカウンティングの準備に皆さん大変忙しそうでした。

その前に割りに有名な店でハンバーグを食べていたら、隣に座った可愛いい韓国人の女性から話しかけられ、彼女は友達と来たけれど、友達は買い物に夢中で、自分は興味ないから、ここでまっていると言っていました。来年の春は大阪に行く予定らしいです。とても混んでいたので、慌ただしく食べて出てきたので、それだけしか聞けませんでしたが、どういう身の上なんでしょうね。

上の写真は始まる前の舞台で、下はタイムズスクエアです。
 

2017年掲示板投稿のまとめ(1)掲示板投稿のまとめ (3)

 投稿者:秋 たける  投稿日:2017年12月31日(日)10時01分54秒
返信・引用 編集済
  2017年も今日が最後、いいこともたくさんあったはずなのに私には何故か、戦前にもどって
いくような暗く、不安な気持ちにさせらることが多かった1年でした。来年こそ世界中が
平和に向かいますように。この1年、拙い写真を観ていただきありがとうございました。

9/07 初秋の野七里の小公園を巡る
9/11 中村川に沿って元町から山下公園まで歩く
9/19 大和市の常泉寺、藤沢市のの小出川堤防に咲くヒガンバナを観る
9/30 鎌倉の英勝寺でヒガンバナを、宝戒寺でハギを観る
   9月中の写真投稿 98葉

10/03 東京駒場で文学館、公園を巡る
10/12 横浜旭区の里山ガーデンでコスモスなど秋の花を楽しむ
10/18 上野の国立博物館で「運慶展」を観る
   10月中の写真投稿 78葉

11/07 新宿の漱石山房記念館を見学、その後神楽坂まで歩く
11/17 銀杏黄葉を眺めながら横浜公園から日本大通りを通り海岸通まで歩く
11/18 汐留の浜離宮恩賜公園を歩く
   11中の写真投稿 84葉

12/03 紅葉を観に、鎌倉の天園を経て獅子舞まで歩く
12/05 横浜日吉の慶応の銀杏黄葉を観てから東京の外苑前の銀杏並木まで足を延ばす
12/18 冬ざれの円覚寺境内を歩く
     12月中の写真投稿 75葉

写真上 山下公園から眺めた氷川丸。9月18日、撮影
写真中 横浜里山ガーデンのコスモス。10月9日、撮影
写真下 新宿の漱石山房の猫の墓。11月7日、撮影


 

2017年掲示板投稿のまとめ (2)

 投稿者:秋 たける  投稿日:2017年12月30日(土)10時35分27秒
返信・引用 編集済
  吟遊さん、掲示板を見ていただきありがとうございます。9月には過去10年の間に開腹手術を3回
受けた大腸がんが、3回目の手術から5年以上たっても再発していないとして「診療終了」通知を
受けました。最高裁からの差し戻し、かかりつけ医へ戻れというわけです。がん患者ではなくなり
ましたが、この私のささやかなアンチエージングの歩け歩け「運動」、来年はどこまで続けられる
でしょうか。来年もぜひ声をかけてください。

2017年5月~8月
5/04 横浜山手と外人墓地の中を歩く
5/12 横浜公園と日本大通りの花を観る
5/24 関内駅から赤レンガ倉庫まで花を観ながら歩く
5/27 有楽町で東大寺文化講演会を聴講、日比谷公園を歩く
5/30 谷中墓地と根岸界隈を歩き子規庵を見学
5月中に写真66葉、投稿

6/12 馬車道を歩き「横浜美術館」へ
6/15 葛飾の堀切菖蒲園へ
6/17 アジサイを観に鎌倉の極楽寺と成就院へ
 6月中に写真62葉、投稿

7/08 平塚の湘南ひらつか七夕まつり
7/11 上野で博物館めぐり、松林図屏風など観賞
7/21 中川船番所から小名木川、隅田川を通り日本橋川の日本橋まで船旅
 7月中に写真62葉、投稿

8/01 愛宕山の放送博物館見学、愛宕神社参拝
8/05 団地の夏祭、写真撮影
8/06 鎌倉鶴岡八幡の鎌倉ぼんぼり祭
8/22 江の島の「湘南港」を歩く。オリンピックのヨット競技会場。
8/28 夏のいたち川河畔を歩く
 8月中に写真58葉、投稿

 写真上 横浜山手の「外交官の家」の庭からベイブリッジを望む。5月4日、撮影
 写真中 東京葛飾の堀切菖蒲園。6月15日、撮影
 写真下 湘南ひらつか七夕まつり。7月7日、撮影
 

秋さんの報告

 投稿者:吟遊視人  投稿日:2017年12月29日(金)22時47分11秒
返信・引用
  いやー、すごいですね。80代の方とは思えない動きですね。
大病をなされた後の健康や体力維持の目的もあるかもしれませんが、まず何よりも歩こう、外界の動きを見てみよう、心に響くものを言葉(秋さんの場合短歌ですか)にし、写真を撮ろう、そんな意志力と行動力に脱帽です。
私も最近特に運動不足」を感じています。駅の階段を上がるのに、なんともなかったのが、最近は息をつくようなときがあります。

O-chanも久しぶりの娘さんとの対面、よかったことでしょう。私もマンハッタンには色々と思い出もありますが、特に美術館にはよく行きました。南の方のソーホーやビレッジ、中華街あたりを天気がよければ散策されたらいいかもね。
 

2017年掲示板投稿のまとめ(1)

 投稿者:秋 たける  投稿日:2017年12月29日(金)10時57分15秒
返信・引用 編集済
  o-chanはNYで親子二人の水入らずの年越しと迎春、心行くまでお楽しみあれ。お説の通り、
メトロポリタン美術館はフラシュさえ焚かなければ写真はOK、仏像も間近で撮ることが
できました。ミュージカルもたくさん観てきてください。

2017年も余すところ3日足らず、私こと今年も「言の輪」の作品をロクに合評することも
なくうかうかとごしてしまいました。ただその間も脚萎え防ぎたくあちこち歩きまわり、
四季折々の、季節の移ろいを写真に撮り本欄に投稿してまいりました。その1年の「動き」
を3回にわけてご報告いたします。ご覧下さい。

 2017年1月~4月
 1/07 鎌倉鶴岡八幡宮から冬の七里ガ浜へ(写真上)
  1/08 団地のどんど焼きとロードレース
 1/12 冬ざれの上野恩賜公園と不忍池の畔を歩く
 1/17 二宮町の吾妻山公園で菜の花と富士山、相模湾を眺める
      1月中に、写真65葉を投稿

  2/07 小田原の曾我梅林で観梅(写真中)
 2/18 三浦半島の三浦海岸で河津桜を観る
 2/19 熱海梅園へ
 2/20 伊豆河津町へ河津桜の花見に
 2/21 湯河原の幕山公園の「梅の宴」
    2月中に、写真66葉を投稿

  3/06 早春の横浜公園、山下公園歩き
 3/18 早春の大船フラワセンターで観梅
 3/25 横浜の鶴見から生麦まで旧東海道を歩く
 3/28 皇居を3/4周して花見、半蔵門で会食(写真下)
    3月中に、写真44葉を投稿

  4/04 新宿御苑で花見
 4/9-12 大阪城公園と奈良の吉野で花見、寺社巡り
 4/19 近くのいたち川河畔散歩
 4/22 都市緑化横浜フェアーで、横浜公園から山下公園まで歩く
 4/29 鎌倉書道展を見学
    4月中に写真81葉を投稿

写真上 鶴岡八幡宮 2017年1月6日撮影
写真中 小田原の曾我梅林から眺めた富士 2017年2月7日撮影
写真下 江戸城天守台の桜 2017年3月28日撮影

 

NY便り

 投稿者:o-chan  投稿日:2017年12月29日(金)01時27分24秒
返信・引用
  25日に出国し13時間後の25日に ニューヨークの娘宅に着きました。自分の猫3匹と里親になっている子猫3匹計6匹の賑やかな家です。私も猫大好き人間なので、とても楽しく猫と遊んで過ごしています。
昨日は計画の一つメトロポリタン美術館に行きました。50年近く前に来たので、もう一度来てみたかったのです。東京より随分と寒く、動いている時はまだしも、ホリデイシーズンで観光客(私もその一人)達の長蛇の列でまっている間、ほっぺたがぴりぴりしました。常設展の印象派やロダンなどの他、Hockneyという現代画家の特別企画があり、これがとても面白かったです。パステル画を始めてみようと思ったきっかけになった、ルドンの花の絵やドガの踊り子など、数点のパステル画があり、紙ではなく布に描いてあり、とても素敵で、どうしたらこんなに描けるようになるか、また違った試みをしてみようと思った次第です。

フラッシュを焚かなければ写真も大丈夫なのに、やっぱりすっかり忘れ、その帰りにグランドセントラル駅で昔の生徒と待ち合わせをした時に、そうそう写真、と思い出して撮りました。どうも写真人間じゃないので、忘れてしまいがちです。次は猫達の写真をとって掲載しますね。

年末はきっと皆様お忙しいと思いますが、いかがおすごしですか。娘のアパートのすぐ近所に日本人の経営するお店があり、本当になんでも売っているので、年越し蕎麦とねぎ、お餅は持ってきたのでお雑煮の材料を買えば年も越せ、迎えることもできます。おせち料理は二人ともそれ程好きじゃないので、娘の彼氏の作ってくれるポトフなど西洋料理を楽しむ予定です。

予定では後二つほど美術館巡りをし、念願のメトロポリタン歌劇場でトスカを見、Wickid というミュージカル(どうやらオズの魔法使いの悪い魔女が主人公らしい)を見ます。
 

「老いの学習」を読んで

 投稿者:吟遊視人  投稿日:2017年12月28日(木)21時40分40秒
返信・引用
  さ~っと読んでみましたが、なかなか味わいのあるエッセイです。
秋さんのエッセイとは違った読後感があります。秋さんのは、私にとって、客観的に知識や教養がつき博識になった感じをうけますが、武藤さんの今回の随想からは、極めて主観的な自らの想いや思いを述べてあるので、その素直さや思考の広がりに共感できます。

まず「起」の中で述べてある、
「少年老いやすく 学成り難し ・・・・」はよく親しまれた詩ですね。昔、何度か聞いたものですが、朱熹の「偶成」とは知りませんでした。もっとも朱熹という詩人についてもどういう詩人なのかはしらないのです。
個人的なことですが、高校1年にはいってから週に一回あった「漢文」の授業、まったくのチンプンカンプンでテストも赤点すれすれだったことをにがく思い出します。今でも漢字や漢文は苦手なままですが。
この章の最後は「人は【やめてはならないもの・学び】をいつまでも追い続けていくのだろうか」とありますが、作者自身はこの問いを肯定的に捉えらながら、次の「承」へ繫げています。

続いてその「承」ですが、
若いお母さんに抱っこされた、あるいた乳母車の中の赤ちゃんの表情から赤ちゃんの小宇宙を想像されています。これこそ、まさに武藤さんならではの推察です。まだ意識や知能の発達のスタートラインにたった赤ちゃんの脳や見る世界はどんなものでしょう?
実にほおえましい想像力ですね。
また、この欄では、自分が投稿した原稿についても触れられています。入会されてからは一度も欠かさず投稿され、その内容についてもきっちりと検証されていることは、私自身も、それこそ「学ばなければならない」ということでしょう。
確かに3ヵ月に一回、何らかの原稿を書くという行為は、この年齢になると苦痛になります。だけど、この「書く」ということは想像力や表現力を養えるし、意志や忍耐などもいくらか必要とされます。ボケないためというより、むしろ積極的な意味での「学ぶ」という行為に繋がるような気がします。

「転」では、徒然草の出だしを引用し、続いて大手新聞のコラム文を紹介されています。私は朝日新聞を取っているので、「天声人語」は毎日楽しみに読んでいますが、最近の「天声人語」は政治や権力に対する鋭い批判や検証が鈍っているように感じます。私のアベゾー批判が激しすぎるのかもしれません。
読売や毎日、日経もマンションのロビーにおいてあるので、時々斜め読みしています。読売は相変わらず政府の御用新聞に堕落した感じですが、この「編集手帳」というのはたまにはいいこと書いていますね。もっとも政治的なことよりも文化的な随想文に限りますが。
「日経」は企業の購読でなりたっているような新聞なので、もっぱら企業や経済が主体、知識や情報を得るだけの新聞だと思っています。
ともあれ武藤さんが言われる「鋭い観察眼、軽妙さ、問題の指摘、風刺の活用、簡潔な分かりやすい流麗な文章」に基づいた「コラム」欄になってほしいものです。

「結」では、「書く」ことと「学ぶ」ことの総括的な想いやスタンスについての自己検証というものでしょうか。
「学ぶこと」「書くこと」「知ること」を私の人生の最後まで追求出来たら本望でしょう。
 

師走(73)(74)(75)

 投稿者:秋 たける  投稿日:2017年12月28日(木)17時24分39秒
返信・引用 編集済
  独り静に境内を歩きたいと思って円覚寺を訪ねたのに、明るい燃えるような紅葉が目に入るとついつい
カメラを向けてしまう。無意識のうちに華やかなもの、明るいものを求めているのだろうか。
                             12月18日、鎌倉円覚寺で
 

武藤さんの合評

 投稿者:o-chan  投稿日:2017年12月27日(水)08時33分32秒
返信・引用 編集済
  武藤さんは何でもある意味、とても一生懸命で、努力なさいます。そしてそのやり方がこれまたとても計画的で、目標達成まで何をどのようにするかを、もちろん多少の施行錯誤、柔軟性はありながら、きちんと決め、行います。定年後の百名山、街道、巡礼、その他も同じです。
 ただ、「書く」ことは達成したという具体的な成果が見えにくいので、大変とは思いますが、何らかの賞を目標にするのもよし、また、歩いたり走ったりで鍛えるのと同じに、言の輪への投稿や合評は練習になるでしょうね。ただ、文の構成や言葉使いなどは練習で上達するでしょうが、「何を伝えるか」が大きく影響する世界だから、あらゆる出来事をよく見、聞き、感じることが大事でしょう。詩や俳句は限られた言葉使いで中に秘めた感情や思索を伝える訓練になるし、小説は自分ではない人間の気持ちを理解する手助けにもなるので、試してみると世界がきっと広がると思います。

 さて合評ですが、まず書方について
「起承転結」を心がけ、そのように書く練習は大事だしそれを読者に伝える事も、とても面白い試みですが、その表示についてはそろそろ下書きの段階までにてもよい気がします。
 また、以前は難しい漢字の後にカッコつきのフリガナが結構あったのが、今回は一箇所、齢(よわい)だけで、これはなるほどと思いましたが、逆に、漢詩からの引用だけに読めない字が数個あり、フリガナが欲しいと思いました。
 《》と『』の2つが使われすぎている気がします。朱熹のような人物名には私は不要と思うし、他の場合にも、強調の度合いに応じて句読点やダブルでない()「」なども混ぜて使ったらどうでしょう。

 内容は「老いの学習」の一つとして、書く事を始めた経緯や書いた作品の種類など書かれていますが、「作品の数を思うと自分を褒めてやりたい」という表現がとても新鮮でよかったです。それだけ思いを入れ、学ぶ気持ちで書かれたのでしょう。だからこそまだまだという悔しさを感じられたそうですが、私とは大違いですね。脳天気な私は書くときは上手く行かないと思ったとしても、後で読み直してみると、うん、本当に面白い!と感心し、自画自賛するのですね。だから進歩とは縁がないのかもしれません。

武藤さんのように、目的達成のためには何をどうすればよいかを探り、一歩一歩着実にまた確実に進めていき、何よりその過程で自分を豊かにしていくことが大事でしょうね。もしかしたら私のような場当たり的で怠け者には実践は難しいでしょうが、記憶の隅に置けばどこかにうまいこと反映するかもしれません。そして「学習」しながら「楽しみ」もいっぱい味わいましょう!

 

うのたん様合評

 投稿者:トト  投稿日:2017年12月26日(火)08時32分13秒
返信・引用 編集済
  うのたん様の文章を読むと、私の遥かな遥かな幼いころのことをいつも思いだします。恐らく、うのたん様の、穏やかな純粋な文章に触発されてのことだろうと思います。

グミの木もその一つです。一寸いがらっぽいような、それでいて少し甘い瑞々しい小さな小さな果実を思いだします。甘いものの殆ど無い時代で、あの甘さが子供たちのお菓子だったのだろうと思います。

大人たちは決して口にして居なかったようですが、どうしてあのころあのようなグミの木が方々に植えてあったのだろうか、不思議です。グミの木は私のうちにはなかったような記憶ですが、しかしいろんなところにあって、しかもそれを取って食べることは誰からも叱られない、所有者からも何ら文句を言われない、今思えば実に不思議な果実でした。
本当に何のために植えてあったのでしょうか。

メダカもそうです。メダカも日頃は忘れていますが、うのたんさんの文章で鮮やかに想い出に浮かびました。春や夏には、私の家の周囲をめぐっていた小さな川に群れを成して泳いでいて、これはフナやナマズや泥鰌のような食べる魚とは違い、誰かも相手にされない小さな小さな魚でした。それを取ってきて、茶碗に泳がせていたのを思いだします。

うのたんさんがお書きになっている戦争は、私は生まれていないか生れていても台湾で育っていた時代で、何の記憶もありません。

私の戦争の唯一の記憶は、小学校3年生の時に、学校から引率されて映画館に行き戦争映画を観たことがありますが、その後授業で、担任の先生が敵艦に突入する戦闘機には一人の人間が乗って居るんだ、これが悲しくないか、と泣くようにして語られました。

戦争というといつもその先生の表情が思い浮かびます。其れ迄戦争映画は、戦闘機や空母という無機質の何か人間でないものがゲームの様に戦っているものの様に思っていましたが、戦争は人間が命を懸けて戦っているのだ、と実感しました。全く当たり前のことですが・・・・

しかしこのような無慈悲な戦争の想い出よりも、うのたん様の文章は、それを取りまく様々な人びとの、様々な日常生活が実にほのぼのと描かれており、私自身の幼いころの至福の毎日だった頃の出来事を思い出し、何時もとても幸福感に満たされます。

これからも宜しくお願い致します。

masita.

 

合評お礼2

 投稿者:うのたん  投稿日:2017年12月25日(月)22時33分11秒
返信・引用
  旅人-M様
 言の輪第27号から52号までの私の作品を理路整然とまとめて戴き誠に有難うございます。このように立派にまとめる事は私にはとても出来ないことです。
それにしても私も、もうこれだけ作品を投稿したのでしょうか、懐かしさと思い出がこみ上げて来ます。
例えば35号『鉄橋を渡った少年』では日豊本線 南小倉?城野間の紫川の鉄橋を恐々と渡った事、36号の『初めての空襲』では昭和19年6月?にコンソリーデイデットB24の爆撃だったと思いますが怖かったのを思い出します。
タイトルからだけでも作品のいろいろな事が思い出され蘇って来ます。

いつも旅人-Mさんは分かり易く、読み易くまとめておられるのに感服します。
今後、私も見習い分かり易く、読み易い作品を投稿して行きたいと思います。
今後共よろしくお願いします。有難うございました。
 

合評お礼

 投稿者:うのたん  投稿日:2017年12月25日(月)21時55分49秒
返信・引用
  北島浩之様
 続・グミの木をお読み戴き有難うございます。
『戦中、戦後の厳しい時代、特に戦争体験者は年々少なくなっています。戦争を知る作者の「グミの木」連載は非常に貴重な自分史になるかと思います。作者の記憶にある風景や暮らしを残すことなく伝えていただければと希望します』とのコメンも有り難く今後も可能な限り当時の事を思い出し書き残して行きたいと思います。

 ついこの間迄、腰に竹棒を差しチャンバラごっこなど遊んだのがついこの間のように思い出されます。北島さんの上司の方のように戦時中、戦後、特にこの不具な体になってからは苦しい思いをして来ましたが周囲の温かい人たちに助けられ今日迄来ました。少年時代散々虐められもしましたが耐え忍んできました。勿論、自殺しよう等は毛頭考えもしませんでした。私の子供達にも『自殺等絶対するものではない、自殺する勇気があったらまだまだ、何でも出来る・・・』と言い聞かせてきました。それにしても最近の子の一部に簡単に自殺する子がいるようですが残念な事です。これも一つには親が自殺の愚かさをしっかり説明、説得していればこれほど簡単には自殺しないのではないかと私は思います。
もっと、自分の命を含め『命の尊さ』を指導する必要があるのではないかと思います。また、世の中には私より不具な体の方も沢山おられるのではないかと思います。残された命、大事に生きたいと思います。
 

師走(70)(71)(72)

 投稿者:秋 たける  投稿日:2017年12月25日(月)17時49分0秒
返信・引用 編集済
  今日も鎌倉円覚寺の冬景色です。12月18日、撮影

 写真上 この写真ではよく見えませんが、この大木はコブシです。枝上高く、白い点のように
     見えるのがコブシの蕾です。早春の開花に備えています。
 写真中 ここではまだ散らない紅葉が枝上高く残っていました。
 写真下 日が1日1日短くなっていくこの時期に、今が盛りと咲くサザンカ。花も様々です。 
 

鵜木さんの合評

 投稿者:o-chan  投稿日:2017年12月25日(月)15時35分44秒
返信・引用 編集済
  このごろは合評が1日遅れになりがちで、自分を戒めているところですが、今成田空港のラウンジでこの合評を書いています。後1時間ほどで出国です。NYでの日常をまた時々載せますね。

鵜木さんの子供のころの思い出は、私の思い出と重なる部分とそうでない部分とあり、それは戦中戦後という日本の歴史上大きな変化の時期が少しずれていたせいと、私が引揚者だったという所からではないかと思います。
 空襲の記憶は全くないし、防空壕に入った記憶はあるようなないような、人から聞いたことがなんとなく自分で経験したと思い違いしているのか。
 満州での記憶も、痛みと食い意地が組み合わさった、凍傷の治療に病院に行きたくなくて母親から飴をあげるから、と言われて渋々行った事くらいです。
ただ、3歳だったにしては、子供達を自分の妹に託し、母は満州に残るつもりだったのが引き上げ直前に父が病死し、結局親子3人と叔母の4人で引き上げたけれど、父親が亡くなった時、それを母親から告げられ、よく分からないまま、何か特別なことが起こったんだという気配で、父の顔を見つめたことは憶えています。兄は5歳だったからまだ多少は憶えているかと思い聞いても全くだめです。いまだに同じ状態で何年前に越したか、娘の年は幾つかなど、まったく覚えられず、困ったものです。

 さて、そういうわけで鵜木さんと共通の思い出をあげると、グミの木です。引き上げ先の母の実家の庭にも2本あり、一つは西洋グミという、大きな実をつけていましたね。あれ以来、見かけたことはありません。どちらの実も赤く熟れたら少し渋いけれど、美味しかったですね。
 次はメダカです。小さい時ももちろんいたでしょうが、メダカの学校は娘に幼児のころ母が再婚した先のお寺の裏の小川で見せたを覚えています。きれいな小川でちょっと赤みがかって可愛かったです。
 船は引き上げ船だから、きっと大きかったと思うけど、全く覚えていません。ただ一つ覚えていることは、船で一緒だったおじさんが足の指をネズミにかじられたと言っていたことです。本当にそうだったのか、子供を脅かすために言ってたのか、わかりませんが、船のネズミも人間同様食料不足だったのかもしれませんね。

書くことで伝えられる。これは素晴らしいことだと思います。おかげで古典と言われる数々の文学などを楽しむこともできるし、子孫たちに何らかみじかな教訓を残すこともできます。鵜木さん、また書いてくださいね!

 

レンタル掲示板
/225