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 投稿者:水野幸雄  投稿日:2018年 7月12日(木)13時46分35秒
  高橋 浩 さま

私のメールアドレスは
midz@mb.infoweb.ne.jp
です。 よろしく。

    水野幸雄
 

ありがとうございます。

 投稿者:高橋 浩メール  投稿日:2018年 7月12日(木)10時12分31秒
  水野幸雄先生

詳細なご回答ありがとうございます。大変に参考になりました。お礼のお返事が遅れたこと申し訳ありません。木原太郎先生が始められた、お仕事であると理解しました。
もう少し、それが何時の時期であるかお聞きしたところです。たた、ここの「MY文庫の広場」のコーナーでやり取りするのは、専門的過ぎて適切でないと思います。
直接メールでやり取りしたいのですが、連絡先を教えていただけないでしょうか?
どうぞ、よろしくお願いします。
 

お返事

 投稿者:水野幸雄  投稿日:2018年 7月 5日(木)20時49分22秒
  高橋浩さま

お便り有難うございました。 久しぶりにご指摘の昔の論文の別刷を取り出して眺めてみました。

おたずねの3体分散力の計算を手がけたきっかけについては、木原先生は大分以前から気体のビリアル係数の計算をいろいろとなさっていますので、第3ビリアル係数の計算で必要な3原子間の分散力の探求はご自身の研究の延長で、ごく自然の流れだと言えます。 そして木原先生の目的は希ガスのような現実の気体について原子間ポテシャルの形を決めることですので、武藤義夫さんの論文を読んで、調和振動子のような理想化された模型に制約されない計算を目指されたのだと思います。
  私は1953年春に旧制の東大物理学科を卒業し、旧制の大学院で3年間過ごして、1956年春に物理学教室の助手になりました。 私どもの論文は1956年10月の出版ですので、この仕事は丁度 私が助手になったばかりの時期のものです。 この研究の定式化や論文執筆はいずれも木原先生で、原子が球対称の時、2体力、3体力の係数μ、νと分極率αを一つの無次元量κを用いて表し、これらを簡単な関係式で結びつける方法は、私が見つけたものです。 そこで先生は論文の第1著者をMidzunoにして下さったのだと思います。

  以上です。 これが何かのご参考になれば幸いです。

                              水野幸雄
 

3体分散力の研究

 投稿者:高橋 浩メール  投稿日:2018年 7月 3日(火)15時24分31秒
  水野幸雄先生

はじめまして、群馬大学・理工学部で物理を教えている高橋浩と申します。木原太郎先生のコーナーのページ大変興味深く拝読いたしました。

私は、専門の生物物理に加えて日本の物理学史、物理教育史についても研究しています。現在、調べているのは前橋医学専門学校(現在の群馬大学医学部)の生化学教授であった武藤義夫の物理学研究です。彼の仕事の中で最も優れたものは、現在、Axilrod-Teller-Muto  three-body termとも称される3分子間のポテンシャルの計算だと思います。

武藤は、この仕事を日本語の論文でしか発表していません。それにもかかわらず、世界中の分子間力の研究者が武藤の名前を知っているのは、木原太郎先生と水野先生が、武藤の仕事を発展させ、その成果について書いた論文(J.Phys. Soc.Jpn. 11(1956) 1045-1049)の中で、武藤の日本語論文を正しく評価・引用したおかげだと考えています。

3つの原子の間に働く3体分散力の計算を手掛けるようになった、きっかけや経緯はどういうものだったのでしょうか。大分昔の話ですが、当時の状況を教えて下さるとありがたいです。
 

お便り有難う

 投稿者:水野幸雄  投稿日:2015年 5月 8日(金)22時24分16秒
  島津季夫さま

  詳しいお便り、有難うございました。 MY文庫を読んで中幡小学校時代を懐かしんで下さったとのこと、幸いです。

  私の文章「中沢君のこと」に出てくる「高津君」はおっしゃる通り高津渉君です。 彼の家は確か七号橋の坂を上って途中から左へずっと入って行ったところだったと憶えていますので、島津さんのお宅もその辺だったのですね。 彼の家にはとにかく応接間がありました。 中幡小学校の学区は場所柄そういう家はとても少なく、私のクラスでは彼の家だけだったと思います。 その意味で記憶に残る友人です。 ただ、小学校ではそれほどよく遊んだ仲間ではありませんでした。
  正善達三先生は中幡小学校で、担任以外ではもっとも記憶に残る先生です。 特に先生は児童劇に打ち込んでおられ、児童劇団「子供町」では創設メンバーの一人であり、劇団の活動でもずっと中心メンバーの一人だったということです。 なお「子供町」は私が調べたところでは、現職の小学校教師が集まって昭和11年(1936年)に設立した「子供町児童劇学校」で、上演した劇はすべてオリジナルな創作劇だったそうです。 いずれにしても、一人の小学校教師がそのような活動に打ち込めたというのは、小学校の管理もずいぶんおおらかだったのだな、と思っています。
  ただ、そのころから気になっていたのは、演ずる子供をどのようにして集めていたかということです。 どこかで児童劇学校の生徒として募集し、(月謝を取って?)教えていたのかなとも思いますが、いまだに定かではありません。 少なくとも中幡小学校でそのような募集話があったとは聞いたことがありませんし、どうなっていたのでしょうね。
  とにかく、そのようなことがあって、先生が学芸会で指導して行った劇はあまり学芸会的でない、多分に実験的な要素を持っていたように思います。 「神鈴の村」もそのような感じで観ていました。 その主役が島津さんで、そのご本人からお便りをいただけるなんて、感激です。 私には「神鈴の村」にかなり象徴詩風な劇だという印象があるだけで、物語についてまったく知りませんでしたので、今回の島津さんの書き込みは大いに参考になりました。   有難うございました。   私もまた、そのころのことをいろいろ思い出しました。

  なお、私たち第12回生はいまのところ同期会的活動はしていません。 小学校で仲の良かった友人は3人ほど年賀状のやり取りをし、時には会ったりしていましたが、それも途切れ気味になり、さびしい限りです。 ただ13回生では、山崎基雄君と鈴木美智子さん(現姓・岡田)のお2人と、同窓会活動の縁で、今でも年賀状のやり取りをしています。

 

MY文庫中幡小の想い出

 投稿者:島津季夫メール  投稿日:2015年 5月 8日(金)16時21分55秒
  何気なく検索した「正善達三」→「神鈴の村」、それは70年前後昔の幼い頃に引き戻された感じでした。申し遅れました、私、昭和6年生まれ84才中幡小学校を昭和19年に卒業した第13回生です。当時の組み分けは4クラスで1組及び2組は男子、3組4組は女子でした。冒頭の正善達三先生は2組私たちの担任でした。ちなみに、1組小沼弘先生、3組は鈴木なか先生、4組は鈴木みち子先生でした。正善先生は非常に厳しい方でしたが大分以前に鬼籍に入られました。生前同窓会には何回か出席されその際何故あんなに厳しかったのかお尋ねしたことがありました。「その当時は戦況が激しさを加えいつ赤紙がくるか、精神的に不安定になっていたかも」と語っておられました。しかしそれも今はいい思い出です。
 正善先生は私たちの4年から6年迄を担任されました。その中で一番想いだすのはやはり貴兄の文中学芸会のことです。「神鈴の村」は仰るとうり秋の学芸会で4年、5年、6年?6年はもしかすると記憶違いかも。「神鈴の村」のあらすじは両親を亡くした少年が寒空のなか旅をして神鈴の村にたどり着く、といった物語です、その少年役に指名されたのが私です。

   我に父なく 母もなく 一人旅ゆくこの道は 冷たい雨がふってます

 と歌いながら舞台に出たのを昨日のように思い出されます。貴兄の文中に出てくる高津さんは高津渉さんのことと思われますが彼の家は私の裏と彼の家の裏庭に接しており毎日のように遊んだなかです。まだまだ想い出は沢山ありますが書ききれません。
 私たち13回生は毎年5月に同期会を開いています、鬼籍に入る人が増え年々参加者が少なくなりました。  懐かしい想い出を有難うございました。


 

MY文庫を見て

 投稿者:島津季夫メール  投稿日:2015年 5月 8日(金)04時26分39秒
編集済
  昭和19年中幡小学校第13回卒業生です。
何の気なしに開いた「神鈴の村」幼い当時を思いだし少しばかり興奮しました。
文中の正善先生は4学年から6学年卒業迄の担任の恩師です。私は秋の学芸会で神鈴の村の少年役として舞台に立ちました。
「我に父なく母もなく一人旅ゆくこの道は冷たい雨が降ってます」この歌を歌いながら舞台に立ちました。私たち13回卒業生は同期会として毎年5月に集まります。年々鬼籍に入る人があり参加者も大分少なくなり淋しくなりました。
文中にある高津さんとは「高津渉さん」のことでしょうか、もしそうであれば隣に住んでいたので幼い頃よく一緒に遊びました。懐かしい思い出です、有難うございました。
 

お便り有難う

 投稿者:水野幸雄  投稿日:2014年 9月29日(月)14時05分39秒
  高部さま。 お便り有難うございました。 さらなる御活躍を祈ります。  

感謝

 投稿者:高部英明メール  投稿日:2014年 9月28日(日)18時01分4秒
  水野先生。修士課程、理学部谷内研とプラ研の山中龍彦氏のグループに属し、先生には輪講のチューターで1年間、お世話になりました。1976年、昭和51年です。今は下のURLの様に、阪大レーザー研の教授です。「実験室・宇宙のプラズマ物理学」という本を執筆中で、クーロン対数の所で、Googleで先生のHPを見つけました。先生にチューターしていただいた一丸先生の「Basic Principle of Plasma Physics」はぼろぼろですが、本棚にあります。

http://homepage2.nifty.com/AkiTakabe/

 

水田未知さま

 投稿者:トコです  投稿日:2013年 9月23日(月)19時36分14秒
  水田未知さま トコです。お便りありがとうございました。
ウン十年ぶりでしょうか。残念ながら、私の記憶は内山保育園の後半からで、その前の共同保育所の方は覚えておりません。お世話様になりましたようなのに本当 に申し訳ございません。でも、とっても嬉しいです。また、母のことを覚えていてくださりありがとうございました。皆がどこかで繋がっているというのはとても不思議ですね。
 

お便り有難う

 投稿者:水野幸雄  投稿日:2013年 9月 9日(月)14時44分23秒
  水田未知さま
書き込みを有難うございました。 私も今池共同保育所や市邨学園のことを懐かしく思い出しました。 トコは今、芦屋に住んでいます。 さっそく、書き込みがあったことをメールで知らせましたので、またこの掲示板を通して連絡があるものと思います。 よろしく   水野幸雄
 

(無題)

 投稿者:水田未知  投稿日:2013年 9月 8日(日)16時34分58秒
  このHP偶然見つけました。トコちゃんとは今池共同保育所でいっしょだったはずなのに、私がその後内山保育園ではなくちょっと離れた千種台保育園にいったからでしょうか?記憶は「トコちゃんのおかあさん」のほうが印象にあります。最後にお会いしたのは40年ぐらい前東市民病院の待合室です。それより2・3年前だったでしょうか、病気のために市邨学園を退職することにした、とわざわざご挨拶にいらっしゃって、母と玄関先で話されていたことも思い出しました。薄れていた記憶がよみがえってきます。  

お便り有難うございました

 投稿者:水野幸雄  投稿日:2013年 2月15日(金)16時31分19秒
  木原孫さま
  お便りありがとうございました。 私も木原先生を松濤の病院にお見舞いに行ったことがありますので、お会いしたのは私だったかもしれません。 2月10日が先生のお命日ということも憶えていて、その日は改めて先生のことを思いだしていました。 何はともあれ、私のつたないHPが何かのお役にたったとあらば、望外の喜びです。
  なお、先生の奥様、和子さまには毎年、賀状をいただいていましたが、今年の正月にはいただけず、何かあったかと気にしています。 なにか情報を頂けると幸いです。 よろしく。
 

(無題)

 投稿者:木原孫  投稿日:2013年 2月10日(日)01時08分36秒
編集済
  祖父の書いた本は何だったかな、と思いネット検索してみたところ、こちらのHPを見つけました。
松濤の病院で、同一人物か判りませんが、水野さんという方と会ったことがあります。

昨年は祖父の13回忌があり、今日は命日。かなり記憶が薄れてきてしまいましたが、いつも穏やかで、何でも楽しそうに話していた祖父を覚えています。他にも覚えていて下さる方々がいると知り大変嬉しかったです。
 

お便りありがとう

 投稿者:水野幸雄  投稿日:2013年 1月 2日(水)13時30分56秒
編集済
  Rさま
  お便り有難うございました。 私の文章は単に幼いときの記憶を書き留めたもので、
それ以上の根拠はまったくありません。 それでも何か参考にして頂けたとか、
幸いに思います。
  そして、「ごかく」が五稜郭を示すという話は私はまったく始めて拝見したもので、
とても面白く思いました。 私の歌詞のも「さんかくで」で両手の親指と人差し指で
三角形をつくるところなど、まさに「三角」と解釈してももっともな所もあり、
何かいわくがありそうです。 Rさまはいろいろ調べておられるようですので、
また何か教えて頂けると幸いです。 ありがとうございました。
 

「幼い日々の遊び」について

 投稿者:R  投稿日:2013年 1月 1日(火)10時14分47秒
  「いっかくにかく・・・」の歌詞について検索していて、
こちらにたどりついた者です。

「西郷隆盛」の切腹した日付が、歌詞と異なる気がして
調べようと検索しておりました。
こちらでの解説のおかげで、やはり歌詞のほうは
言葉の調子を整えるためにか、事実とは異なっていたようだと
再確認することができました。
ありがとうございます。

ところで、この遊び歌の序盤についてですが
「いっかくにかく(中略)ごかくに橋を架け」
この「五かく」とは「五稜郭」を示すものだと、
歌を教えてくれた祖母に説明された記憶があります。

口伝ですので、どこまで信憑性があるかはわかりませんが、
「いっかく・・・」について不明と書かれていたので、
なにかの解釈の助けになればと思い、コメントさせていただきました。
 

木原先生の思い出

 投稿者:中野清吾メール  投稿日:2012年 2月28日(火)00時19分17秒
  星大学で木原先生にお世話になりました中野清吾です。以前水野先生にお電話させて頂いたものです。ご連絡が遅くなり失礼致しました。木原先生の原稿が、ほぼ出来上がりました。2月10日の御祥月は過ぎてしまいましたが。水野先生に一度見て頂きたく掲示板に投稿させて頂きました。先生への連絡先を紛失してしまいました。また、小生のパソコンも現在、インターネットができない状態です。携帯メールを掲載しましたので、どのような形で原稿をお渡ししたらよいかご指示下さい。電話でお話しもさせて頂きたいと思います。携帯メールへの連絡お待ちしております。どうぞ宜しくお願い致します。中野清吾  

地球国家論

 投稿者:水野幸雄  投稿日:2012年 1月18日(水)20時30分37秒
  龍紀さま
  私の地球国家論を読んで頂いたとのこと、有難うございました。 そしてあなた様方がNPOの設立申請もして、地球国家樹立のアドボカシー活動を実践なさっているとのこと、すばらしいことだと思います。 私の地球国家構想が少しでお役に立てば幸いです。
  さて本論の「前書き」にもありますように、地球国家は今から60年以上前から私の夢でした。 そして4年ほど前から、地球国家について思うところを文章に書き留め始めましたが、私はそれらをHP「地球国家論のコーナー」に記録するだけで、それ以上の活動はしていません。 従って、人と会って議論することすらしていませんので、ご了承下さい。
  私は地球国家論では、地球国家の理想像を描くとともに、それへの可能な移行過程を構想することが大事だと考えます。 そこで考えたのが、日本を道義国家に仕立て上げて地球国家創成を主導させるというもので、まさに「日本人よ、大志を抱け」ですが、日本の現状はいかにもだらしないので、まずはそれを何とかしなければと模索しています。 そこで「つぶやき日誌」にほぼ毎日、考えの断片を書き込み、考えがまとまれば、本論に組み込むということをしています。  「日誌」の方もときどき見て頂くと幸いです。
  なお、あなた様の書き込まれたこの掲示板「MY文庫の広場」は本来、私のホームページの中の「地球国家論」以外の部分での連絡用に設けたもので、地球国家に関する連絡は「地球国家論のコーナー」で直接呼び出せる掲示板「地球サロン」を使うことにしています。 そこで次回からはその方に書き込み下さるようお願いします。
  それではご活動の順調なご発展をお祈りいたします。
 

地球国家論の学びについて

 投稿者:龍紀メール  投稿日:2012年 1月17日(火)20時31分56秒
  はじめまして、仮名 龍紀と申します。
インターネットにて、水野様の地球国家論と出会わせていただきました。
早速、拝見させていただき地球国家樹立の必要性をより感じさせていただきました。
私は、地球国家樹立を人生最大の志とし、これからNPO法人を設立(申請中)し、アドボカシー活動を展開していきます。様々な展開をして行く中での一例として、国民に対する署名活動、世界連邦推進自治体として各市町村、県・府に宣言していただくことを掲げています。
現在の地球国家樹立に対する日本国は、法的に議決し、一部の政治家の方々からの支持、地方自治体で一部での推進宣言はあるものの進展してるようには見受けられません。よって、国民の意識はかなり低いようです。
そのような中、私は同志とともに理想論ではなく、具体的、かつ戦略的に国民への啓蒙と政府への政策提言をしていくことを決意していますが、地球国家に対するビジョン、知識等がかなり不足していることを痛感しています。
その上で、水野様の地球国家論は、我々の今後の展開のおいて具体的なビジョンを示していただきました。
今後、より一層水野様の地球国家論を学ばせていただくことができたらありがたいです。
水野様の地球国家論に関するご講演会などございますか?
ぜひ一度、直接ご拝聴させていただけたらと…。
何卒、よろしくお願いします。
 

いっかくにかくでさんかくで

 投稿者:水野幸雄  投稿日:2012年 1月14日(土)20時43分6秒
  凜火さま
  お便り有難うございました。 「いっかくにかくでさんかくで」に私の憶えていた歌詞の先に、これだけ長い派手な追加があったとは。 とても面白く拝見しました。 これらの歌は私が小学校に上がる前に遊んだもので、そのころは意味が分からなくても気にせずに口調で憶えたものです。 特にこの歌はいろいろと変化があるようなので、私たちは確かにこのように遊んだ、との記録を残したくなって書いたものですが、図らずもあなた様にお目にとまって幸いです。 また、「茶壺」の歌はまったく初めて見る歌で、興味深く拝見しました。 これもやっぱり振りが付いているんでしょうね。
  お陰様で、私も自分のHPをあちこち読み返した、すっかり楽しみました。 なにかこのような幼い日の遊びについて、あなた様がお書きになったものがあれば、拝見したいと思っています。 これからもよろしくお願いいたします。 
 

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